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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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こんなことは起こつて当然

20190422 

人生には
「思ひ通りにいかないこと」
が多い。

むしろ
「思ひ通りにいくこと」
のほうが少ないといふのが実感に近い。

どうしてかうも人生は難しいのだらうと考へてゐると、
「最も思ひ通りにいかない人生を送つてきたのは神様に違ひない」
といふ答へが返つてきます。

確かにさうだらうと思ふ。

最初にして最大の思ひ通りにいかなかつたことは、アダムとエバの思春期に起こつた出来事です。
このときの出来事を神様はどのやうに心の中で整理されたのでせうか。

その後の復帰の歴史も、そのほとんどが「思ひ通りにいかないこと」の連続でした。
期待は次々に裏切られ、歴史はその度に延長を繰り返しました。

神様がこの世界の創造を思ひたち、創造原理を策定されるとき、その後の御自身の人生に
「思ひ通りにいかないことがあり得る」
と想定しておられたのでせうか。

理屈で考へると、人間に責任分担を与へると決めた時点で、
「思ひ通りにはいかない可能性がある」
と想定せざるを得なかつたと思はれます。

とすれば、創造を開始された神様は
「私のこれからの人生は思ひ通りにいかないことの連続になるかも知れない」
と覚悟をされ、
「すべてのことを思ひ通りにはできない神様になる」
といふことを受け入れなければならなかつたでせう。

神様がさうであるなら、我々人間も「思ひ通りにならない人生」を不遇な人生としてではなく、当然の人生として受け入れる。

さう考へれば、思ひ通りにならないことは当然で、あとは
「思ひ通りにいかなかつた場合、それにどう対処するか」
といふことだけが問題です。

自己牧会プログラムには
「思ひ通りでなくても大丈夫」
といふワークがあるのですが、これはなかなか上手い対処だと思ひます。

これはまづ「思ひ通りでないこと」を「受け入れる」といふ態度です。

「思ひ通りでないことはあつてはならないことだ」
と拒絶的に反応するのではなく、まづはそれを受け入れる。

神様も摂理がうまくいかなくなつたとき、まづはその事実を受け入れるしかないでせう。

「思ひ通りでなくても大丈夫」
などと言へば軽く響いてしまひますが、ともかく受け入れ、それから対応を考へるしかない。

心を穏やかにして考へれば、「思ひ通りにならないこと」は復帰原理的であると同時に創造原理的でもあるのです。
「思ひ通りにならないこと」は初めから創造原理に織り込み済みなのです。

こんなことは起こつて当然。
それに正しく対処していくことで私は確実に成長する。

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