誰かの言葉を聞く時代は過ぎ去る
もう、私たちが誰かの言葉を聞く時は過ぎ去りました。どんな真理よりも、千万倍素晴らしい師の言葉よりも、私の心の声を聞き、聞いてもまた聞きたくて、その心を求めていくべきです。そうすれば、私も分からない無限大の何かが出てきます。それが創造の内容です。(7-201)
まず、私たちの心には神様がいらっしゃるので、心の声を聞くと神様のような創造力を発揮するからです。従って、心の声を聞くと自分は神様のような能力を備えた存在になるのです。
第二に、私たちの心には心情というものがあって、心の声を聞くと相手の喜びを通して自分も喜ぶ存在になるからです。つまり、宇宙の愛の主人になるのです。
第三に、私たちの心には本心というものがあって、心の声を聞くと本心の特性によって絶えず喜びを創造するからです。それで、その本心の喜びによって完全かつ永遠に喜びを享受することができるのです。
だから、今は心の声を聞きながら宇宙の愛の主人になって、常に喜びを創造する神様のような創造力を発揮する時代です。真理の言葉や誰かについて行く時代ではないのです。
それらは自分の心の声を聞くための手段です。目的ではないのです。
(出所不明)
だいぶ以前、ある牧会者からもらつたお父様のみ言葉です。
その時は、やや神秘的で分かりにくいみ言葉だなといふ印象で、私のみ言葉の引き出しに入れたままにしてゐました。
お父様の真意は今でもはかりかねますが、「心の声」といふところを「良心の声」に入れ替へてみるとすつきり筋が通るのではないかと気づいたのです。
もう、私たちが誰かの言葉を聞く時は過ぎ去りました。どんな真理(統一原理)よりも、千万倍素晴らしい師(お父様)の言葉よりも、私の心の声(良心の声)を聞き、聞いてもまた聞きたくて、その心(良心)を求めていくべきです。そうすれば、私も分からない無限大の何かが出てきます。それが創造(自己創造)の内容です。
まず、私たちの心(生心と肉心)には神様がいらっしゃるので、心の声(良心の声)を聞くと神様のような創造力を発揮するからです。従って、心の声(良心の声)を聞くと自分は神様のような能力(自己創造する力)を備えた存在になるのです。
第二に、私たちの心(生心と肉心)には心情というものがあって、心の声(良心の声)を聞くと相手の喜びを通して自分も喜ぶ存在になるからです。つまり、宇宙の愛の主人になるのです。
第三に、私たちの心(生心と肉心)には本心(成熟した生心が肉心を主管してゐる状態)というものがあって、心の声(良心の声)を聞くと本心の特性によって絶えず喜びを創造するからです。それで、その本心の喜びによって完全かつ永遠に喜びを享受することができるのです。
このやうに言葉を入れてみたらどうでせうか。
そして、最後にかう言つておられます。
それら(統一原理やお父様のみ言葉)は自分の心の声(良心の声)を聞くための手段です。目的ではないのです。
慎重に味はつてみるべきみ言葉だと思ひます。

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