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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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それを「ときめき」と呼ぶ

20190414

NETFLIXでも取り上げた「こんまり流片づけ術」をNHKが後を追ふやうに放映してゐます。

登場する人たちの中にはなかなか捨てられない人が出てくる。
なぜ人は使ひもしないものを捨てられないのか。

こんまりさん(近藤麻理恵)は、捨てられない理由は2つしかないと言ふ。

① 過去への執着
② 未来への不安

遠い昔の給料明細を捨てられない女性。

「あの頃自分はこんなに頑張つてゐたんだといふ証でしよ? これ、捨てられない」

サイズの合はなくなつた古い服を捨てられない女性。

「いつかダイエットして細くなつたら、これ着たい。捨てたくない」

かういふやり取りを見てゐると、我々の内面の心は目に見える持ち物を通してまざまざと現れるのだなと、改めて思ふ。

私は最近、心の中にたまつてゐるものも、その多くを捨てたらいい、捨てるべきだと考へるのです。

「私はこれまでこんなに頑張つてきた」
「私はまだまだ不足なので、将来が不安だ」

さういふ思ひは目には見えないけれども、昔の給料明細や古い服と全く同じやうだと感じます。
物を捨てられないのは結局そのものが象徴してゐる自分の心の中の思ひを捨てられないといふことです。

過去の執着を捨てられないのは、それを捨ててしまへば、その過去の土台の上にゐる今の自分までなくなつてしまふのではないかと怖いのです。

10年間づつと許せない人がゐるとします。
その10年間は「その人を許せない私」が私だつたのです。
もし今その人を許してしまへば、その10年間の私は一体何だつたの? といふことになる。
その10年間を捨てられないために、恨みも捨てられない。

おかしな理屈ですが、そんなおかしな理屈に縛られてゐる。

こんまりの考へ方によれば、過去への執着も未来への不安も捨ててしまはう。
それがないと生きていけないと思ふのは、幻想にすぎない。

本当の私、本当の私の人生を取り戻すには、「今」に思ひをフォーカスする。

それをこんまり流では、
「ときめき」
と呼ぶのです。

古い服に何度も何度も触つてみる。
そのとき心にときめきを感じれば残すし、感じなければそれはもう私には要らないもの。
さう判断する。

「…でなければ生きていけない」といふ固定観念。
恐れ、不安、不平、不満。
「私が正しく、あなたがおかしい」といふ思ひ込み。

さういふものは私の肉心が溜め込んできたものです。
それが私を私らしくし、私の生きてきた過去の証だと思ひ込んでゐます。

「これらの思ひは、本当の私(神のかたちとしての私)とは何の関係もありませんので、今あつさりと手放します。ありがたう」

数ケ月かけて手放し続けると、ゴミの山で足の踏み場もなかつた部屋が見違へるやうに片づいて、ゆつたりと落ち着けるアロマの部屋に変貌するのです。

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