良心にも個性があるのかな
「良心にも個性があるのかな」
と、ふと考へた。
少し前の記事「焦らなくていいよ」で紹介した良心は、なかなか気が利いてゐます。
T字路に差し掛かったときに、
「右から行くのが早いですか、左が早いですか?」
と尋ねたら、
「焦らなくてもいいよ」
といふ良心の答えが返つてきたのです。
この良心はその人をとても優しく思ひやつています。
尋ねる人が半信半疑でも、もつたいぶらずに答えてくれる。
しかしすべての人の良心がこんなふうに対応してくれるかどうか。
神様は我々一人一人に神様の分身たる良心を与へて下さつたといふのですが、我々はみんな個性真理体として性格が違つてゐます。
我々がさうなら、私の性格に最も合ふやうな良心を神様は与へて下さつてゐるのではないか。
つまり、良心もまた個性真理体かも知れない。
そんなふうに考へてみたのです。
神様が良心を創造されず、ご自身が直接我々に対し、み言葉を語り導いてくださるといふ選択肢もあり得たでせう。
しかし神様はさうされず、わざわざ良心を造り、それが我々一人一人を担当するやうに設定された。
そこには何かとても深い配慮があるやうな気がするのです。
神様が直接に我々に接せられたとしても、神様は無限な方で変幻自在、我々の個性に合はせて対応されるかも知れない。
しかしさうではなく、私に最も相応しいと思はれる個性を持つた良心を造つて私の人生全般を同行させるなら、私の人生はなにかとても面白いことになりさうです。
私と私の良心との関係は唯一無二です。
その関係を生涯に亘つて深めながら、良心の最も親しい友人になつていく。
私は冒頭の人のやうな質問をしないやうな気がするし、もししたとしても私の良心は同じやうには答えてくれないやうな気がする。
私は頭で考へ過ぎる質なので、考へて整理し納得しないと実行できないところがある。
私の良心はかういふ私の性格をうまく御すことのできる性格を持つてゐるのではないか。
だから、尋ねてもすぐには答へてくれない。
考へて考へて、3日目くらいになつてやつと、心の底のほうからゆつくりと答へを浮かび上がらせてくれる。
そんなふうに推測するのです。
しかし、意外とひょうきんなところもあるかも知れない。
私の好みにも共感してくれないといけないから。

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