いだてんの時代
今年の大河『いだてん』の主人公金栗四三は明治24年(1891年)の生まれ。
ドラマでは副主人公とも言へる落語家の古今亭志ん生も年一つ上の同時代人で、1912年のストックホルム・オリンピックのときは2人ともに二十歳そこそこの若い時代です。
熱心な大河のファンでもない私は、この前ちらりと見ながら、あの時代の東京の言語生活はあんなものだつたのかなといふのが気になりました。
脚本は宮藤官九郎で、この人は1970年の、しかも宮城の生まれだから、明治中期の東京言葉にはまつたく馴染みがなからうと思はれます。
山本夏彦の『完本・文語文
例へば、女同士仲良しなら、
「ちょいと耳をお貸しよ」。
男なら、
「ちとお耳を拝借」
などと、むかしは言つた。
男がちょつと硬い漢語を混ぜるのに対して、女は女らしい柔らかな和語を主に使つて、男言葉と女言葉がうまい具合に使ひ分けられてゐたことが分かります。
あるいは、門口に虚無僧が来て尺八を吹くと、喜捨する気のない女房は、
「ご無用」
と言つて断つた。
「よござんす」
と言ふ女房もあつた。
今なら、
「まにあつてます」
と言ふところでせう。(虚無僧はほぼ来ないが)
この時代は口語も変はるが、書き言葉も変はる。
苦悩しながら変はつていつた時代です。
二葉亭四迷は明治42年(1909年)、山田美妙は翌43年の没。
山本によると、この2人以降に散文が文語から口語に変はつていつた。
ほぼ同時代人の尾崎紅葉は『金色夜叉』の中で、地の文は文語、会話は口語に書き分けています。
雅俗折衷体です。
模索する苦悩が伝はつてきます。
もう少し後に来る佐藤春夫と西條八十はともに明治25年(1892年)の生まれで、少年時代に文語文に触れて育った最後の世代に属します。
佐藤はその詩歌も文語文でうたひ、文語文を伝える最後の人になりました。
金栗も志ん生も佐藤と同世代の人です。
そんなふうに見ると、いだてんの面白みも増えてくるやうに思へます。

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