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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

10分説教は果たして可能か

2019/02/15
読書三昧 2

20190214 

山本夏彦の『
完本・文語文』の中に、物理学者・木下是雄の書いた『理科系の作文技術』が絶妙にダイジェストされてゐて、それが非常に示唆的で面白い。

その分野の研究者が学会で発表しようとすると、それに与へられる時間は10分だといふ。
一生涯をかけた研究を発表するのに10分とは、あまりに短いのではないかとも思へるが、木下は十分可能だと言ふのです。

昔、公衆電話で市内なら10円で話せるのが3分でした。
結婚式のスピーチもだらだら長いのは傍迷惑で、やはり3分で十分とも言へる。
人は誰も長く話はしたいが、長い話は聞きたくない。

木下が教へる10分講演の仕方は、かうです。

まづ初つ端に、
「かういふ目的で、こんな研究をして、かういふ結果を得たから、報告する」
といふことを1分以内で言ふ。

聴衆はそれを聞いて、その人の話を聞くか聞かないかを決める。
初めにこれだけの情報を提供してくれない人の話は聞かないほうがいいことが多い。

そしてあとの9分を「序論」「研究方法」「結果」「論議(考察)」の4つに割り振つて話す。
序論に2分半は長過ぎるやうに思へるが、研究の背景と自分の狙ひを明らかにすることは重要である。

大体、一般の聴衆が理解できるのはここまでで、ここまで分かれば聴き手は自分なりにその研究を評価し、必要なら後で質問に来てくれる。

10分の講演では、こまかいことを話すことはできない。
むしろ細部を捨てることで、骨格が浮き出す。

最初の三分の一が全員に分かつて、次の三分の一も分かつたやうな気がすれば、最後の三分の一は分からなくてもいい。

簡潔明瞭なガイドラインで、これはおそらく木下自身の豊富な体験から導き出した実感なのだらうと思はれます。

さらに論文についても、ぴりっときいたアイデアがあります。

理科系の論文はそれを読むべきか否かをすぐ判断できるやうに、論文の前に「著者抄録」をつけることになつてゐる。
論文の梗概を書いたものですが、それの最も短縮されたものが「題」だと言へる。

だから題が論文全体を表現して読者に読ませる力があれば、それが最もいい。
次いで「副題」、さらに「梗概」の順で、その3つで論文の最も重要なポイントが分かるのが最良の論文と言える。
そのためには、なくてもいい言葉は一つ残らず削る。
著者が結論に至る前に迷ひ歩いた跡など、書くには及ばない。

なかなか鋭い指摘に満ちてゐます。

10分講演。
礼拝の説教も10分にまとめたら短すぎるだらうかと考へました。

数年前、お母様が牧会者たちの説教を聞かれたとき、
「説教は長過ぎないのがよい。20分、長くても30分を超えると恩恵が薄らぐ」
と論評されたのを記憶してゐます。

しかし実際の説教は大抵30分を超え、かなりの割合で50分に及ぶこともある。
私もいざ説教の演台に立つと、つい40分を超えます。
幹部の特別説教になると、2時間を超えることも稀ではない。

説教は科学の講演と違つて、心の高揚や感動もなくてはならぬので、10分はやはりちょつと短いやうに感じます。
やはりベストは、お母様の言はれるとおり、20分でせうか。
30分以内なら、礼拝参加者の許容範囲。
説教者は余計な言葉を削りに削つて、本当に言ひたい言葉に絞り込む。
その自覚と努力が必要だらうと思ひます。

長い話を聞きたい人は1人もゐない。

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Comments 2

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tenmondai

No title

人がある程度の集中力を持って聞けるのが、約18分と言われています。それ以上になると、余程のことがない限り、集中して聞くことはできません。
家庭教会の説教者はお父様の真似をして大体に話が長すぎます。感動を与えるのに、途中のくだらない冗談など全く必要ないと思います。
それと、牧会者は普通の人(教会員以外)に話す訓練も必要かなと思います。教会内部向けにだけ話せる人はこれから必要なくなると思います。

2019/02/22 (Fri) 13:46

本人

No title

統一教会の方はかなりの割合で
・とにかく話が長い
・自分の話ばかりされる(人の話をあまり聞こうとされない

なのでいつも帰りが遅くなってしまいました。
アベルカインという関係性があるからでしょうか?
talktiveなのはいいのですが、会話のキャッチボールをして頂きたいものです。

2019/02/22 (Fri) 18:30