旧かなづかひは気持ちいい
久しぶりに「旧かなづかひ」(歴史的かなづかひ)論者の本を読んで、私自身のそれへの愛着心を再認識したので、今日の記事はその愛着心に従つて書いてみることにします。
その本といふのは、
『旧かなづかひで書く日本語
です。
著者は本書の中で現代かなづかい(新かなづかい)の自己矛盾や使ひ勝手の悪さと旧かなづかひの合理性をかなり論理的に、かつ微に入って論じてもゐますが、本当の気持ちは、
「旧かなづかひは美しいし、使つてゐて気持ちいい」
といふことなのです。
今日、ほとんどの出版物、公文書はもとより、歌謡曲の歌詞でも、新かなで記述されているのは事実です。
しかしそれでゐて、意外に文語が生きてゐるといふのは、言はれてみるとちょつと驚きます。
一例を紹介しませう。
あなたを待てば雨が降る
濡れて来ぬかと気にかかる
ああ ビルのほとりのティールーム
雨も愛しや唄つてる
甘いブルース
あなたと私の合言葉
「有楽町で逢いませう」
昭和33年、当時の人気歌手フランク永井の低音が魅力で大ヒツトした往年の名曲です。
一見、現代口語のやうでありながら、実はこの中にも文語的表現が結構生きてゐます。
例へば、
「あなたを待てば」
これは口語に似てゐながら、実は文語です。
口語だとすれば、
「もしあなたを待つならば」
という仮定です。
しかしこの歌詞の意味は、
「もしあなたを待つならば雨が降るだらう」
ではない。
「あなたを待つてゐたところ」
といふ意味であつて、これは文語「待つ」の已然形「待て」なのです。
文語・口語どちらにも「待てば」といふ語形は現れるのですが、口語なら仮定形、文語なら已然形であつて、この場合は已然形の文語が紛れ込んでゐるのです。
それ以外にも、
「濡れて来ぬか」
の
「来ぬ」
も文語。
「愛しや」
の
「や」も詠嘆の助詞で文語です。
もう一つ、古典的に有名な歌「故郷(ふるさと)」。
如何にいます父母
恙なしや友がき
雨に風につけても
思ひいづる故郷(ふるさと)
ここで一行目の「います」。
これは旧かなづかひで書かれています。
旧かなで
「ゐます」
と書けば、これは
「どうしていますか、お父さんお母さん」
といふことになる。
しかし
「います」
と書いてあるので、これは
「どうお過ごしだらうか、父上母上は」
といふ敬語なのです。
これを新かなで書いてしまふと、
「どうしてゐますか」
なのか
「どうしていらっしゃいますか」
なのか、区別がつかない。
まあ、こんな例をいろいろ挙げてあるのですが、それでも、
「そんな例はさほど多くない。滅多にないことで、さほど面倒な問題ではないだらう。それに上の2つの歌詞はどちらも古いもので、近頃の歌詞には文語などほとんどあるまい」
といふやうな反論もあり得るでせう。
この反論には、一理あるやうにも見える。
ただ、新かなの意図は「今の音に随う」といふことでありながら、実際には随所に自己矛盾を含んでゐる。
それがどんなものかは本書を読んで確認していただくこととして、私としてはやはり、
「旧かなは美しいし、気持ち良い」
といふくらゐのことで、楽な気持ちで使つてみたい。
皆さんの印象はどうでせうか。
思つたほどには読みづらくないでせう。
ただ、パソコンで打つにはちょつと面倒です。
少し工夫してみようと思ひます。

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