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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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繰り返し思い出しなさい

20190203

それで、父母を神様のように思いなさいというのです。その論理は、ここから出てくる論理です。妻を神様のように思い、父母のように思い、夫を神様のように思い、父母のように思いなさいという結論がここから出てくるのです。
(「世界経典」1263)

今年になって初めて礼拝の説教を担当し、上に掲げたお父様のみ言葉を引用しました。

説教のタイトルは、
「特別な私」

先日の記事「この世には、確かに、特別な人がいる」を底本として準備したのですが、記事には、
「私は特別な人になれるのか、どのようにしたらなれるのか」
という結論がない。

このままでは説教の体をなさないので、どうしたいいものかと暗中模索するうちに出会ったのが、冒頭のみ言葉です。
瞬間的に閃きが訪れたような気がしました。

「私が妻から『あなたは特別な人だ』と言われようとすれば、まず私が妻を神様のように思って接しなければならない」

つまり、
私が特別な人になろうとすれば、私が相手を特別な人として対する
ということなのです。

「私が子どもたちから『お父さんは特別な人だ』と言われるためには、私が子どもたちを『神様の人』のように思って接しなければならない」
というふうにも言えます。

しかし実は、こういう見方は今初めて聞く話ではない。
私たちが原理を学び始めると、最初に聞くのがこのことです。

「創造原理によると、男性は神様の陽的部分の実体であり、女性は神様の陰的部分の実体である」
と学ぶのです。

学ぶのですが、いざ目の前の人に面と向かうと、自分の感情で見てしまう。

「どうしてこの人は、いつもこうなんだろう?」
「どうしてこの子は、こんなに親の願うとおりにならないのか?」

頭で分かっていることと、胸から出てくる感情とがなかなか一致しないのです。

原理のみ言葉には蕩減はないが、私の感情には蕩減が絡んでいる。
長い期間にわたって先祖たちが積み上げてきた「堕落の思い」が、私の感情として出てきやすいのです。

どうしたらいいのか。

「忘れないこと。繰り返し思い出すこと」

これが今日の結論でした。

原理はまず頭から入りますが、胸に安着しないうちはすぐに忘れる。
だから、忘れない、というのは無理なので、繰り返し思い出す。

繰り返し思い出しては、
「そうだった。この人は私のために神様が送ってくれた人だった」
と自分に言い聞かせる。

それを1年、2年、5年と継続する。

これ以上にもっと良いアイデアもあり得るでしょう。
教えていただければ有り難いです。

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