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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

天使長の想定外

2019/01/11
瞑想三昧 0
20190111

正しいかどうか分かりませんが、ある時、こんなことを思いました。

アダムとエバが善悪の実を取って食べた後、神様がまずアダムに問われた。
「取って食べてはならないと命じておいたあの木から、お前は取って食べたのか?」

すると、アダムはおかしな答え方をした。
「あなたが私と一緒にしてくださったあの女が木から取ってくれたので、私は食べたのです」

神様は「なぜ食べたのか」とは聞いておられない。

「食べたか、どうか」
と聞いておられるのですから、アダムの答えは、
「Yes」か「No」であるべきです。

それなのに、アダムは理由を答えて、弁解しようとしている。

この答えを聞いて、神様は
「困ったことになりそうだ」
と思われた。

「彼はどうも、自分がしたことに対して責任を取らないつもりでいるのではないか」

アダムがもし「Yes」と答えたなら、神様は次の言葉を与えて解決策を講じるつもりでおられた。
ところが、彼の答え方によって神様は二の句が継げなくなり、仕方なくエバに質問の矛先を向けられた。

するとエバはなんと、
「蛇が私をだましたのです」
と答えたのです。

これによって、神様は対処に窮された。
責任を背負うものがいなくなったのです。
この時、神様は暗澹たる思いになられたのではないか。

これまで私はこんなふうに考えていたのですが、ある時思ったのは、
「この時、実は天使長も驚いたのではないか」
ということです。

「2人ともこんなふうな態度を取るとは、思ってもみなかった。どうして彼らは自分がしたことに対して責任を取ろうとしないのか? 人間ではないのか?」

アダムとエバが責任を取らないということは、天使長の想定外でした。
このままでは、天使長が責任を取る羽目になる。

「たとえ私が動機となって起こした事件ではあっても、このままでは私が神様に帰る道が塞がれるではないか」

彼は元々、ここまで徹底的に神様に反逆する意図はなかった。

「私はただ、寂しかった。神様の愛が今まで通りほしかっただけだ。アダムとエバが彼ら本来の立場で適切に対処してくれていれば、私はこれほどの窮地に陥るはずはなかったのに…」

我々もいまだに同じ問題を抱えています。

「あなたはすべきでないことを、した」
「あなたはしてはならないことを、した」
と言われると、自分の頭の中で、
「あなたは、なぜ、すべきでないことをしたのか?」
「あなたは、なぜ、してはならないことをしたのか?」
という質問にすり替えて、それに対する理由を探し始める。
そしてその答えは、十中八九、自己弁護なのです。

ただ一言、
「そうです」
と答えられないで、ジタバタと悪あがきをするのです。

このような態度を取ることによって、我々が抱えている本当の問題の根本を解決できないまま、先送りにしているのです。

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