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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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まだまだ修行が足りないね

20190105

昨年米寿を迎えた母。
身体的にはまだ介護は要らないものの、認知症が着実に進んでいるので、行動パターンがだんだんと常軌を逸してきている。
毎日顔をつき合わせて暮らしていると、ストレスが溜まることが多い。

生来の心配性もあり、長年の習慣でもある、寝る前の玄関の鍵かけは母の仕事。
3分前のことは忘れても、これだけは絶対に忘れない。

ところが、今夜は誰が帰ってくるのか、それを毎晩私に聞いてくるのです。
今は2人の孫も離れたところに暮らしているので、普段は2人暮らしなのですが、
「今夜は〇〇ちゃんは帰ってくるかね?」
と聞いてくる。

「2人とも帰っては来ないよ」
と答えると、それならと言って鍵をかけに行く。

ところが、3分くらいするとまた、
「玄関の電気はつけているけど、まだ誰か帰ってくるかね?」
と聞いてくる。

こんなやり取りが、実に毎晩繰り返されるのです。
前の晩にいくら念を押しても、翌日には全くその甲斐がない。

気持ちに余裕がある日は私も同じ答えを比較的冷静に繰り返せるものの、3日に1回くらいは声が大きくなる。

「もう90ばあさんなんだから、忘れるのよ。叱らないでよ」
と言われて、私も反省するのです。

緑内障も徐々に進んで視力も落ちてきていることから、食事の準備など細かな作業が必要な家事もあまりできなくなっています。
それでも時々自分でコメを研いで炊飯器にかけることがある。

昨夜は、炊き上がったご飯を見て驚いた。
おじやのようにぐじゅぐじゅです。

「おばあちゃん、水が多すぎたかね?」
と言うと、
「おかしいなあ」
と首をかしげる。

どうしたものかと思案して、今日の夕食はちょっと早い七草がゆ。

「このおかゆ、おいしいね」
と、喜んで食べてくれましたが、ぐじゅぐじゅご飯はまだだいぶ残っている。
どうしたものか、煩悶は尽きない。

我知らず声を荒らげた後は、自分でも気持ちが落ち込む。

「3分前のことを忘れる。目は見えにくい。耳も聞こえにくい。そんな人が一体どんな世界観で生きているのか。それを想像できない奴のほうが情けない」

そんなことをいつも思うのですが、ある時、こんなことを考えました。

今でこそ認知症の振りをしているが、その内この世の寿命が切れてあの世に行けば、認知症は霧のように消え去り、頭すっきり、頭脳明晰になるに違いない。
その時になって、こんなふうに言われる可能性がある。

「お前は私の晩年、一緒に暮らしてくれたことは有り難いけど、私の様子を見て随分イライラしていたね。お母さんはあんな姿を見せながら、お前の人格を見定めていたんだよ。お前は原理もよく勉強して感謝の価値も知っていたし、悪霊の復活現象についてもよく分かっていたはずなのに、まだまだ修行が足りないね」

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