まだまだな二世講義
来春高校を卒業する二世がいるので、彼のために3日間の原理研修を企画しました。
良い機会なので他の二世にも呼びかけて、数名の中高生が一緒に参加。
今日2日目が終わったところです。
内容は原理講論のポイント講義と明日最終日は真の父母の路程もしたいと考えています。
原理講義の内容は青年、壮年などにも講義してきているので、いくつかのバージョンがあります。
今回二世にするに当たって、彼らにより相応しいものを準備したい。
そう思いながら、十分でき切らないままスタート。
わずかに
「なぜみ言葉を学ぼうとするのか」
という一項を最初に付け加えてみました。
その中で二世たちに考えてもらいたいと思ったのは2点。
① 膨大な原理の内容の中から、どのようにしてそのエキスを発見するか
② 二世としての私とは一体何者なのか
2点とも簡単な問題ではないと思いますが、重要な点ではないかと考えるのです。
①に関して見れば、原理講論を講義するだけでも3日は十分にかかる。
しかしそれを最初から最後まで聞いたとしても、
「結局、それがどのように私の栄養素になるの?」
と自問すると、ポイントは意外と分からない。
自分の課題を克服して本来の人間として成熟するには、原理の何をどのように吸収したらいいのか。
言葉(知識)としての原理は膨大にあるが、本当に実践できるものは一つか二つしかない。
それをいかに見つけ出すかです。
②については、一つの例えを提供しました。
3日研修の前日はちょうど天皇誕生日。
その日NHKが放映した「天皇 運命の物語 第1話『敗戦国の皇太子』」を観ながら、いろいろ考えました。
今上天皇が皇太子として生まれ、どのように皇太子としての自分の宿命と責任を悟っていかれたのか。
外形だけ見れば、一般庶民と何ら異なるところはない。
それなのになぜ自分だけが皇太子なのか。
皇太子が10代の頃には小泉信三などが教育係について「帝王学」などを教える。
そういうものを学びながら、皇太子はご自身のアイデンティティをより深く悟っていかれるようになるのです。
これは二世たちの辿る道のりと重なるように思えました。
このような準備をしながら講義をしてみるのですが、正直なところ、満足のいく講義はできない。
我ながら、もどかしいのです。
「このような講義では、二世たちには十分ではない。彼らの本性を根底から刺激し、『そうだったんだ、これが俺たちの道なんだ』と目覚めさせるような講義には程遠い」
講義を聞いた二世たちが書いてくれた感想文を読むと、それぞれ良いことを書いてくれています。
「こういうことが分かった」
「これからはこういうふうにしていきたい」
それなりの刺激と悟りがあったようには思えるものの、それはまだ何かありきたりな感じがするのです。
二世たちの本性の底にはまだ当たっていない。
彼らはまだそれをはっきりと意識して言葉にできていない。
それが私の正直な印象です。
二世たちの持っている本性がどんなものなのか。
私はまだそれを、的確に把握できていない。
それが問題です。

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