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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

まだまだな二世講義

2018/12/25
原理を学ぶ 3
20181225

来春高校を卒業する二世がいるので、彼のために3日間の原理研修を企画しました。
良い機会なので他の二世にも呼びかけて、数名の中高生が一緒に参加。
今日2日目が終わったところです。

内容は原理講論のポイント講義と明日最終日は真の父母の路程もしたいと考えています。
原理講義の内容は青年、壮年などにも講義してきているので、いくつかのバージョンがあります。
今回二世にするに当たって、彼らにより相応しいものを準備したい。
そう思いながら、十分でき切らないままスタート。

わずかに
「なぜみ言葉を学ぼうとするのか」
という一項を最初に付け加えてみました。

その中で二世たちに考えてもらいたいと思ったのは2点。

① 膨大な原理の内容の中から、どのようにしてそのエキスを発見するか

② 二世としての私とは一体何者なのか

2点とも簡単な問題ではないと思いますが、重要な点ではないかと考えるのです。

①に関して見れば、原理講論を講義するだけでも3日は十分にかかる。

しかしそれを最初から最後まで聞いたとしても、
「結局、それがどのように私の栄養素になるの?」
と自問すると、ポイントは意外と分からない。

自分の課題を克服して本来の人間として成熟するには、原理の何をどのように吸収したらいいのか。
言葉(知識)としての原理は膨大にあるが、本当に実践できるものは一つか二つしかない。
それをいかに見つけ出すかです。

②については、一つの例えを提供しました。

3日研修の前日はちょうど天皇誕生日。
その日NHKが放映した「天皇 運命の物語 第1話『敗戦国の皇太子』」を観ながら、いろいろ考えました。

今上天皇が皇太子として生まれ、どのように皇太子としての自分の宿命と責任を悟っていかれたのか。
外形だけ見れば、一般庶民と何ら異なるところはない。
それなのになぜ自分だけが皇太子なのか。

皇太子が10代の頃には小泉信三などが教育係について「帝王学」などを教える。
そういうものを学びながら、皇太子はご自身のアイデンティティをより深く悟っていかれるようになるのです。

これは二世たちの辿る道のりと重なるように思えました。

このような準備をしながら講義をしてみるのですが、正直なところ、満足のいく講義はできない。
我ながら、もどかしいのです。

「このような講義では、二世たちには十分ではない。彼らの本性を根底から刺激し、『そうだったんだ、これが俺たちの道なんだ』と目覚めさせるような講義には程遠い」

講義を聞いた二世たちが書いてくれた感想文を読むと、それぞれ良いことを書いてくれています。

「こういうことが分かった」
「これからはこういうふうにしていきたい」

それなりの刺激と悟りがあったようには思えるものの、それはまだ何かありきたりな感じがするのです。
二世たちの本性の底にはまだ当たっていない。
彼らはまだそれをはっきりと意識して言葉にできていない。

それが私の正直な印象です。

二世たちの持っている本性がどんなものなのか。
私はまだそれを、的確に把握できていない。
それが問題です。

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Comments 3

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二世

No title

講義だけで二世は生かせないですよ。
一世は講義で復活し生きる道を自ら悟っていったのでしょうか。二世は講義で開かれる世界は30%程度だと思います。特に高校生は。
本性を引き出したいのであればどんな形にせよ「実体」が不可欠かと。二世の立場からの意見でした。

2019/01/07 (Mon) 23:11
kitasendo

教育部長

二世さんへ

本当にその通りですね。そのように私も感じています。
原理30%というのは、私の実感にも近いです。
そこに私も悩んでいます。実体への努力もしながら、同時にたとえ30%であっても、そこにも二世たちにとって何らかの本性の刺激を与えられないかと格闘しています。
二世さんの原理と実体の体験を率直にお聞かせいただけると、有り難いです。
私にとっては信仰の出発に原理は80%以上だったような実感があります。

2019/01/08 (Tue) 12:09

二世

No title

あくまでも個人的に感じる範囲の話ですが。
二世が本性から生かされる為には愛の実体が必要だと感じます。それは講師の実体がどうのというよりも、親からの愛や兄弟姉妹からの愛の実体ですね。その基台の上で(或いは同時に)、原理によってさらに本性を刺激すれば生きる二世は多いのではと感じます。
自分は中高生の時はクラブが忙しく全然教会行ってませんでしたが、両親の事は尊敬してました。お父さんとお母さんが仲良くしている姿を見て自分も結婚するなら親の様な家庭をと思ってました。話をよく聞いてくれたりもしてたので信頼もしていました。高校を卒業する時ほぼ初めて原理と生涯路程を聞く機会がありました。親に頼まれ半分嫌々でしたが、班長?のお姉さんが色々話を聞いてくれて、講義に対しても自分から前向きに聞きたいと徐々になっていきました。講義の最終日親から手紙を貰いそれが本当に嬉しかったですし同時に今まで教会に行けなかった事が申し訳なくもありました。その時聞いた原理の内容は正直全部は覚えてないですが、自分が教会に繋がるきっかけになった講義だったと今も強く覚えています。その講義で神様やご父母様に対して考え方が30%変わりました。たった30%ですがそこから自分は礼拝もいくようになり兄弟姉妹と一緒に活動にも参加するようになりました。自分が繋がる為の残りの70%はやはり愛あってだったとしみじみ感じます。色々な二世がいるかと思いますが「愛の実体+原理」はバリ教二世にも自分のような二世にも普遍なのかなと思います。ですので、講義と同時に愛の実体にどう触れさせるかが二世を生かすテーマの一つだと思います。原理講師さんにこんな事を言うのは釈迦に説法どころでは無いかもしれませんが、一世は原理で復活し生かされた経験から、いかに講義をするか、そこに全てが掛かっていると思いがちなのかもしれませんが、二世は「愛の実体に触れる」+原理講義、言い換えると親や兄弟姉妹+原理講師で100%なのかなと思います。勿論人手不足等の現実問題考えずですが。

ここからは蛇足ですし大きな声では言えませんが、親たちも献金勝利の為の方法論や教会活動バリバリするよりも、二世が「他の子の家よりお金は無いかもしれないけど本当に良い家族だ」と言えるようになる為の家庭作りにシフトチェンジしていけば良いのにと感じます。(もししてたらすみません。献金のイメージが強すぎて...)なので二世教育と同時に「親教育」的なものがより展開していけばなによりだと思います。二世として家庭を持つ事を考えると自分も他人事では無いです。

2019/01/09 (Wed) 12:56