立派に死のう
今は、インターネットなどを通して世界が完全に一つとなった状態で対話できる時代です。人々を教育するためには、まず恩恵を与えることのできる良いアイデアをもっていなければならず、その次には、それをきちんとつくって、聞かせてあげ、見せてあげなければなりません。さもないと、人々はついてきません。
私たちは世の中よりも良いみ言葉をもっていますが、そのようなみ言葉を私たちのものにつくり上げ、具体的に聞かせ、見せてあげてこそ、人々の欲望を刺激し、満たすことができるのです。
(『心情文化世界とマルチメディア』文孝進著)
3週間ほど前、清平に行った折、見違えるほど瀟洒に生まれ変わった売店の書籍コーナーで見つけ、「文孝進」の名前に魅入られるように買った1冊を、少しずつ読んでいます。
孝進様は2008年3月17日、40代の半ばで聖和された方です。
人生の中で難渋したことも多かったと思いますが、晩年は本性を刺激する曲作りに没頭され、1万曲以上を遺されたと聞いています。
「立派に生きよう」
とは言わず、
「立派に死のう」
と言うのが口癖だったそうです。
教会には世界随一、歴史随一の素晴らしいみ言葉がある。
しかしそれを形にできていない。
み言葉を形にして、見せて上げ、聞かせて上げなければ、人々を惹きつけることはできない。
深刻にそう考えておられたことが、言葉の随所からひしひしと感じられます。
物質中心主義が蔓延する現実の中で、考えもなくどのようにお金を儲けますか。「原理」から見ると、実体基台を通さなければならないのではありませんか。
あのような世の中の人たちと競争して勝ち得る人材が今の統一教会にいると思いますか。申し訳ありませんが、今はいません。あのような人たちとの競争に勝とうと必死に努力したとしても、勝てるという保証はありません。勝たないうちには何も言えないのです。
(同上)
「あのような人たち」
というのは、例えば米国でMTV(Music Television)という若者向けのケーブルテレビ音楽専門チャンネルを作っているような人たちです。
それを私は見たことがないのですが、孝進様は、
「刺激を与え、金さえ儲かるならできることは何でもする人たち」
だと言われます。
無法地帯です。
その無法地帯に、米国の子どもたちは晒されている。
どんなに立派なみ言葉を持っていても、こういう人たちに勝つことができない限り、我々は何も言えない。
主導権(原理的な表現を使えば、長子権)を取ることはできない。
この戦いはきわめて難しい戦いであり、対抗策を講じてすぐに勝てるような見込みもない。
しかし、その戦いを代を継いででも続けていけるように、そしていつか遠からずMTVにも勝てる人材が出てくるように、できる限りの基盤を作ろう。
そのことに身悶えされたのが、孝進様だった。

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