あなたが愛おしい
僕はあなたのことを愛していました。本当に愛していました。でも、あなたは僕を愛してくれなかった。僕を子どものように、あなたの子どものように愛してほしかった。愛してほしかった。
男には、妻の愛が何よりも大切なのです。それをずっと言ってきました。
あなたは夫の私を受け入れていましたか? 結婚生活の中で、どういうふうに私を思ってきたのでしょうか? どういう存在なのか、よく分からなかった。あなたは外的なことはやってくれましたが、夫が愛おしいとか、愛しているとか、そういう情を感じられませんでした。子どもを何とかしたいというので、情が全部そちらに行っていたように感じられます。
(『亡くなった家族との会話』聖和者家庭懇談会)
昔書いた記事「霊界の妻が伝えたいこと」を読み返していると、上のような証に再会し、改めて考えることがありました。
「僕」と言っているのは、聖和して霊界に行っている夫。
その彼が地上に残した妻に、実に正直な気持ちを伝えているのです。
彼の言葉の中でも、
「あなたは外的なことはやってくれましたが、夫が愛おしいとか、愛しているとか、そういう情を感じられなかった」
という一言が、何だかとても心痛い。
初めて出会った頃は、「恋心」を抱く。
別れたら、すぐまた会いたくなる。
1日中、相手のことばかり考えている。
しかし、そういう思いは長く続くものではない。
結婚し、一緒に生活するようになると、出会った頃のような「ときめき」はなくなり、その代わりに「愛する」段階に入る。
「恋」は感情だが、「愛」は意志である。
そんなふうに考えてきました。
「恋」は短期だが、「愛」は長い。
結婚生活は長いので、その間には相手に気持ちがいかない時もあり、葛藤を感じる時もある。
気持ちがすれ違うこともある。
そういう時には、意志としての「愛」が必要になる。
しかしそのように考える時の「愛」は、ちょっと辛い感じもします。
心は葛藤するのに、それを克服して一生懸命に愛そうとするというのは、健気だけど、やはり辛い。
そういう時、夫婦の間に必要なのは「愛」ではなく、「愛おしい」という気持ちではないか。
「愛おしい」には、努力や無理やりがありません。
我知らず、相手に惹かれてしようがない。
会いたくて仕方なく、いつでも顔を見ていたく、相手のために何でも喜ぶことをしてあげたい。
できるなら、相手の胸の中にすっぽり入って、そこに住みたいと思う。
しかしこれは「恋」とは違うのです。
「恋」の時期を過ぎ、意志の「愛」で努力していく中でこそ生まれて来る思いです。
謂わば、より次元の高い、バージョンアップされた「恋心」です。
霊界の夫は、生前にそういう「愛おしさ」を感じかったのに、感じることができなかった。
妻は外的なこと、身の回りの世話はよくしてくれたのですが、それでは夫の心の奥底を満たすことはできなかった。
特に霊界に行ってみると、その思いはより一層強くなる。
霊界は本質の世界なので、そうなのでしょう。
同じ冊子の中に、こんな分析もあります。
霊界に行って地上での生き方に間違いがあったことに気がついた霊人は、地上の人間関係以上に交流したいと願っています。しかし、地上からの要求は、経済や病気や子どもの結婚や祝福の問題解決を願うものばかりです。
霊界の側から伝えたいのは、本来の正しい生き方、神様を親として生きること、永遠の夫婦として愛し合うことです。その本質が解決されれば、全て解決するようになっています。霊界と地上との大きな食い違いがあります。

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