父の言葉を遺す母
原作は米国の実在人物だが、それを日本風にアレンジして作ったのが「Door to Door」というテレビドラマ。
9年前の二宮和也が22歳の脳性麻痺の青年(倉沢英雄)を好演している。
父は早くに亡くなり、母の手一つで育てられた障害を持つ青年が訪問販売の小さな会社に入り、いろいろな人との出会いを通してトップセールスマンになる。
ところがその会社は間もなく倒産。
その会社の社長の熱心な口利きで、今度は大きなネット通販の会社に再就職でき、そこで「メディカルメイク」というものに出会う。
あざやシミなどを化粧によって目立たなくできるという技法で、彼はこれをネット通販ではなく訪問販売で売りたいと上司に訴える。
彼は初めて自分がやりたいことを見つけるのだが、そうした最中に大事な母が脳梗塞で倒れる。
ネクタイ一つ自分ではうまく結べない彼にとって、母の存在はなくてはならないものだったのに、治療の甲斐もなく母は他界する。
障害者を演じる二宮も良かったが、それ以上に目が釘付けになったのは樋口可南子が演じる母美津江でした。
20歳を過ぎても自分のことが満足にはできず、もちろん稼いで家計を助けることもできない息子。
その息子の世話をしながら愚痴はもとより、きつい言葉もない。
反対に、障害があるからと言って過分な甘やかしもない。
「お父さんは車の営業でトップセールスマンだったの。あなたにもお父さんの血が流れているよ」
と言って、歩行も不自由な息子を営業職に就かせて、その背中を押すのです。
息子と絶妙な距離感を保つ母を演じる樋口の演技は、見ていて惚れ惚れします。
「父が残した言葉」
と題したノートがあります。
母が折に触れて、
「あなたのお父さんは、いつもこんなふうに言っていたのよ」
と息子に伝えて言葉です。
何度も繰り返し開いて読むので、よれよれになっています。
「ヒーロー(英雄)はいつも笑顔だ」
「チャンスはピンチの顔をしてやって来る」
特にレベルの高い箴言とも言えませんが、そんな知恵と励ましの言葉がいくつも並んでいます。
ところが、ドラマの最後に至って、それらの言葉が実は父の言葉ではなく母の言葉だった、ということを英雄は悟るのです。
病院のベッドに伏せている美津江に、
「あれはお母さんの言葉だったんでしょ?」
と英雄が言うと、彼女は一瞬困惑したような表情になるのですが、英雄は、
「お父さんの記憶はまったくないけど、あの言葉のお蔭で、ぼくはいつもお父さんがそばにいてくれるように感じてこれたんだ」
と告白する。
息子の本音を聞いて、美津江も思わず本音を告げる。
「お母さんも一人であなたを育てていく自信が持てなかった。そんな時、お父さんの力を借りたいと思ったのよ」
とても一人では生きていけそうにない息子を育てるために、美津江は身を粉にして働きづめに働き続けた。
その結果、元々弱かった心臓を傷め、悔やまれる早すぎる死を迎えたかも知れない。
しかし、母親としては息子を善く育てたな、と思うのです。
何の記憶もない父親がいつもそばにいて教えてくれるように育てた。
実際は父の言葉ではなかったにせよ、それを息子に伝える美津江にとって、その言葉はやはり父の言葉だったと思う。
今は目にも見えず、言葉をかけてくれることもない父親の存在を、いかに息子に感じさせるか。
それはとても貴重な生きた教育です。
ドラマを見ながら、
「私はそれが善くできなかったなあ」
と、心が痛みました。
子どもたちには、
「お父さんはこう考える」
と言うよりも、
「お母さんは、いつもこんなふうに言う人だったよ」
と、折に触れ、もっと善く伝えてやればよかった。
「お母さんの記憶はあまりないけど、いつもお母さんがそばにいてくれるように思って来たよ」
と子どもたちが言ってくれるようにするのが私の責任だったのに。
反省することが多い。

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