ヨケベドはモーセをいかに育てたのか
原理講論の「モーセ路程」を訓読しているとき、モーセの母のことがなぜともなく気がかりになった。
モーセの母については、聖書を読んでも名前が出てこない。
WEBで検索すると、
「ヨケベド(あるいはヨケベテ)」
と出てきます。
モーセはイスラエル民族がエジプトで奴隷身分に落ちた時代に、レビ族の血筋を引いて生まれる。
ところが当時は、エジプトの王(パロともファラオとも)はイスラエル民族の繁殖を恐れて、産婆たちに、
「生まれた子が男子であれば、即座に殺せ」
と下命していた。
モーセも殺させるところを、母の機転で隠され、パピルスで編んだ籠に入れてナイル川に流された。
すると、こともあろうに川で水浴びをしていた王の娘に拾われ、宮中に入ることになったのです。
モーセという人は、後の活躍から見ても、芯の通った偉丈夫で、指導力もあった男ですから、宮中で正常に育てば後には王位にさえ就ける力量をもっていたでしょう。
「同胞を連れてエジプトを脱出せず、エジプトに留まって王になり、そこを平定して神の国としていく道もあった」
と、確かお父様も言っておられます。
ところが、ただ単に王になるだけでは神の仕事はできない。
明確に自分の血筋を理解し、神の思想をもたなければ、ただのパロになるだけです。
詳細なことは分かりませんが、エジプトの宮中が神の人を育てるに相応しい環境であったとは思えない。
苛烈で血なまぐさい権力闘争もあり得るし、何より女性問題は並みのものではないでしょう。
原理講論の表現に従えば、まさに、
「サタン世界の中心」
です。
そういう世界に育ちながら、なぜモーセは選民のリーダーとして神のために立ち上がったのか。
母の功績としか考えられません。
密使のように宮中に乳母として入り込んだ実母ヨケベドがどのように息子を育て、教育すれば、そのようになるのか。
静かに考えてみると、このモーセの養育と教育こそ、モーセ路程の中でも今日の私たちにとって最重要なテーマではないかと思われてきます。
今日私たちも「サタン(残存)世界」とも言うべき環境の中で子どもたちを育てながら、おそらくヨケベドが悩んだと同じ悩みを持っている。
そして多くの困難を感じている。
しかしそれがいくら難しいと言っても、ヨケベドの立てられた立場に比べれば、とても弱音を吐けるような立場ではないでしょう。
周囲の目に細心の注意を払いながら、ヨケベドはどのように選民思想を息子の心に植え込んだのか。
1歳2歳では言葉も通じないし、逆に10歳を過ぎればサタン世界の習慣性を矯正するのが難しくなる。
見た目は周囲の人間たちと何も違わないのに、
「あなたは神の選民の血を引いている。内面は全く違う人間だ」
ということをどのように幼い子どもに教えることができるか。
もしかして、周囲の人間たちと何も違わないのに無理やり、
「あなたは違う」
と教えたのではないのかも知れない。
モーセの中に他とは「違う」何かがあった。
それを指して、
「あなたには神様の特別の祝福がある」
と教えたのかも知れない。
するとモーセも、
「私はどうも周りの人と見方や感じ方が違うのに、それがなぜか分からなかったが、神様の特別の配慮があるからなのか」
と納得する可能性がある。
もっとも、これはいくら思量しても勝手な推測に過ぎないから、でき得るならヨケベドから直に教えてもらうしかないでしょう。
「モーセの母」
でWEB検索していると、こんな歌に出会いました。
「ヨケベトの歌」
日本語訳がこのページに載っています。

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