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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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200人に1人

20181106 

私が在籍した当時、高校は1学年6クラスあり、1クラスがほぼ40名だったので、1学年が240名。
私のクラスは理数系が得意な学生が集まるクラスで、その中でも1人、数学がずば抜けて得意な男子がいた。

私などは間違ってそのクラスに入ったようなもので、数学はほぼ平均あたり。
2年生の半ばくらいまでは何とかついていったが、微分や積分が出てくるあたりから段々と後塵を拝するようになった。

ところが彼は涼しい顔で、ちょくちょく難しい質問をするので、数学の先生もやや引けていた。
そして彼は、多分その年にはわが高校からただ1人だけ東大に合格し、数学の分野へと進んで行ったと記憶する。

こんな私の個人的な経験を普遍化するには無理があると承知の上で、同世代の子どもの中で生まれながらに数学が得意な子が概略200人に1人はいると考えてみます。

すると、今の日本なら数学の得意な人材が約60万人になる。
その中にはさらに天才的な人材が200人に1人いるとすれば、3000人。
実際にはもっと少なく見積もってもいいが、これだけの人材がいれば、学界でも産業界でも十分ではないかと思われます。

ところで、我が校随一の数学男子は、性格的にはちょっと偏っていて、付き合うには心やすい同級生とは言えなかった。
しかし、人間は大体そんなものでしょう。

何か一つの分野に抜きんでる人は、その他の分野も万遍なく優れているということが少ない。
極端なKYで、人間関係がぎくしゃくする。
世間の常識に疎く、世渡りがうまくいかない。

そういうのは数学に限らないことで、例えば、100mを10秒で走るアスリートに、マラソンで2時間半を切れと言っても無理な話だし、重量挙げの選手にフィギアスケートをさせても様にならない。
そもそも生まれながらの体形が違うし、違う競技では使う筋肉も違うのです。

だから、短距離走者は100mで金メダルを追求すればいいし、重量挙げ選手はファンとしてフィギアスケートを楽しめばいい。
それが当たり前のことです。

大抵の人は何かの「200人に1人」になると考えてみればどうでしょう。

Aさんは数学は苦手だが、歴史では200人に1人。
Bさんは学科は苦手だが、人を和ませる話術では200人に1人。
Cさんは講義は苦手だが、企画のアイデアは豊かな200人に1人。

歴史が得意な人は、数学では加減乗除さえ分かっていれば、人生に大きな不都合はない。
学科では振るわなかった生徒も、卒業後にはバリバリ活躍して会社を興し、地域の名士になる人もいる。

私は何の「200人に1人」だろうかと考えてみる。
私が「200人に1人」に入れないほとんどすべての分野は、元々神様が私を設計するときに手を抜いたか、切り捨てた分野なので、あまり拘らないようにする。
ただ一つ「200人に1人」に入れる分野だけが私における神様の特別仕様です。

さまざまな「200人に1人」の人たちが集まってこの世がうまく回るように勘案されています。

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