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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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人間を全般的に主管したい

20181103

前回に続き、『文鮮明先生のみ言に学ぶ統一原理』の中にある一節です。


神様は、人間の肉心に直接入っていって人間を全般的に主管したいと思いましたが、人間と直接的な愛を結べないので、間接戦法を通して人間の良心の世界にだんだんと深く臨在していかれて、今まで摂理してこられました。
(1970.10.13)


これはなかなか難しいみ言葉です。

人間が堕落したのち、神様は人間の肉心にまで直接入って、人間を全般的(完全)に主管したいと願われたという。
完全に主管したいというのは、完全に復帰したいということであり、これをさらに考えれば、堕落がなければ本来そのように人間を主管するのが神様の構想であったと思われます。

しかし、
「神様が人間の肉心にまで直接入る」
とはどういうことでしょうか。

このみ言葉をじっくりと読めば、神様は人間の肉心まで入って初めて、人間と直接的な愛を持てる。
あるいは、人間と直接的な愛の関係を持てば、その肉心まで入って行ける、とも読める。

ところが、堕落した人間を相手にこれをするのは非常に難しいので、神様は間接的な方法を取るしかなかった。
それが良心との関係を結ぶことだというのです。

肉心との関係が直接的であるのに対して、良心との関係は間接的だとは、どういうことか。

創造原理には、良心は神様の(直接)対象の立場に立って授受作用すれば、そこから良心作用の力が生まれるとある。
良心が最も神様に近く、その良心を主体として肉心が回転することによって、肉心までも(間接的に)神様の主管圏に入る。

創造原理からは、そんなふうに解釈できるのですが、お父様のみ言葉は逆のようにも思えます。
しかし多分、矛盾はしないでしょう。

神様の究極的な願いは何か。
人間の良心を主管することではなく、どうやら良心を通して肉心を主管することです。

良心は「第二の神様」だと言う。
その意味で、神様にとって良心は他人(別個の存在)ではない。
神様が本当に欲しいのは第二の自分である良心ではなく、肉心であり、究極的には肉身です。

肉心、あるいは肉身は良心と違って、第二の神様ではない。
良心は神様と同じように考え、同じように判断するのに対して、肉心はそうではない。
神様とは別者です。
放っておけば、自分なりの道を行く。

だから、神様が良心を主管するだけでは人間を完全主管することはできず、最終的に肉心を通して肉身までも主管出来て初めて完全主管できる。
良心は肉身への謂わば通り道であり、肉心主管の手段でもあると言えます。

さてそれなら、神様が人間の肉心にまで入り込まれるようになれば、神様と人間との関係はどのようになるのでしょうか。
ここから先は、私には分かりません。
未知の世界です。

人間の肉身には五感がありますが、そのすべてを神様が掌握されるようになるのでしょうか。

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