誰が彼を偽りの父にしたのか
すでに何度も繰り返し原理講義を聞いて学んできた人たちにとって、それでもさらに必要な、あるいは聞いてみたい原理講義があるとすれば、どんな講義だろうか。
原理講義をしながら、悩むことが多い。
考えてみても、答えは簡単に出てこないのです。
信仰生活者にとって必要な創造原理とはどんなものか。
信仰生活にプラスになる堕落論はどんなものか。
終末論、予定論、モーセ路程などはどこまで必要か。
あれこれ考えるうち、
『文鮮明先生のみ言に学ぶ統一原理』
を思い出し、少し読んでみました。
これは以前の講義でも活用しましたが、なかなか素晴らしい本です。
原理講論の構成に従って、その箇所ごとに関連する文先生のみ言葉が引用されていて、あたかも文先生の原理講義を聞いているような感覚になります。
もちろん、これを読んでその内容をそのまま私の原理講義に入れることはできない。
しかし、有意義なヒントを見つけられるかも知れないという期待を抱かせます。
原理講論は非常によく考えられた緻密な構成になっています。
それがあまりにうまく作られているために、講義はその構成の枠を抜けられない。
その枠を一度、思い切り取り外してみたらどうだろう。
そうすれば、原理が「創造原理」「堕落論」「復帰原理」というふうに分かれる前の、原理の本質といえるもののベールを1枚でも2枚でもはがせるかも知れない。
まあ、そんなことをするには相当の力量が要るでしょう。
今は、その本を読みながら、気になったいくつかの箇所を取り上げてみるに留めます。
堕落した結果、どうなったのでしょうか。私たちは死亡圏内に落ちました。…… つまり神様を父として侍るべきアダムとエバが、堕落することによって悪魔サタンを父として侍るようになったというのです。
(1974.11.28)
堕落の結果、天使長が、
「私が彼らの父になる。その資格がある」
と主張できる根拠はある。
神様の主張は、
「私が彼らを創造した。緻密な設計図を作り、愛と精誠の限りを尽くした」
という創造主としての主張です。
それに対して天使長の主張は、
「私はあなたの娘の愛を最初に所有し、その彼女を通してアダムを所有し、子女を所有した」
と言って、血統を前面に立てます。
すると神様はとても困る。
あの膨大な創造の苦労と偉業があるにも拘わらず、「血統」を主張されると、神様は劣勢に立たされる。
それほどに、神様にとって血統は貴重なものです。
ところで、天使長は、
「血統のゆえに、私は彼らの父になる。その資格がある」
と主張したのでもないようです。
彼が主張したのではなく、むしろアダムとエバのほうから、
「私たちはサタンのものです。彼を父として侍ります」
と言い始めた。
実際にはどういう具合だったかよく分かりませんが、サタンを父(偽りではありながら)としたのは人間であった。
子どもが、
「私はあなたの子どもです」
というので、その人は父になる。
神様は元々天使に責任を課しておられない。
彼が自分の主張で人間の父になることはできないでしょう。
堕落のいきさつも、堕落の後の出来事も、その責任は天使にではなく人間の側にある。
そう考えるのが原理にも合う話だと思われます。

にほんブログ村
【お勧め記事】
- 関連記事
-
-
原理訓読チャート講義を実践する 2012/05/09
-
私は神になつた 2022/08/22
-
原理講師の能力を測定する 2016/05/11
-
審判も結局神様の愛であった 2012/07/23
-
スポンサーサイト