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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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神様と、この方たち(真の父母)を信じますよ

20181027 

前回の記事「神は死んでいないか、どうか」の最後に、
「人はどのようにしてそれまでとは違う考えを受け入れるかという一例を示してみましょう」
と結んでおいたので、続けます。

同じ教育部長のブログ「
いつも私のとなりに神さま」で紹介されていた証です。

彼の教会の有志たちはこの5年間、最寄りの駅頭で継続的に路傍伝道を行っている。
一人の熱心な女性伝道師が数年前、ある婦人に出会った。

しかしその婦人は、家庭連合に特段の関心を持たれることはなく、誘っても教会には一度も来られない。
頻繁に路傍伝道していれば、しばしば通りかかることはあって、挨拶程度は交わしていた。

最近になって、女性伝道師は婦人からある展示会に誘われた。
伝道が終わってから展示会に顔を出してみると、婦人はとても心を開いてくださり、お茶を飲みながら話が弾んだ。

話を聞いてみると、婦人のご主人はフランス人で、夫婦ともに敬虔なカソリック信徒だという。
伝道師はそこでひるまず、家庭連合と真の父母を証す。

ご尊影も見せると、婦人は、
「神様と、この方たち(真の父母様)を信じますよ」
と仰る。

この数年間、路傍伝道の場を通り過ぎるだけで教会に来たこともなく、原理を学んだこともないのに、なぜ
「信じる」
などと言われるのか。

駅を通ると、何年もの間、寒くても暑くても、こつこつと弛まず活動している伝道師たちの姿がある。
スピーチする内容を聞くと、真実だと感じられる。

伝道師たちは伝道するとき、いつも彼らの正体と主張を明らかに示す幟を立てている。
それまでは家庭連合にも文先生ご夫妻にもネガティブなイメージを持っていたが、伝道師たちの変わらぬ姿を繰り返す見ているうちに、良いイメージに徐々に変わった。

婦人はそんなふうに言われた後、文先生ご夫妻のお写真をじっと見ながら、
「私はこの方たちに逢うために松戸駅を通ったようなものですね」
と言われる。

そして最後には、
「私の専門を通して何か出来ることがあるかを調べてほしい」
と仰る。

この婦人は、
「すぐに教会に行く。原理を講義して」
とは言われない。

しかし、原理を聞かせて伝道しようとする方法よりよほど確実で着実な伝道方法のように思えます。

カソリック婦人は原理も聞かないのに、どういうわけで
「真の父母を信じる」
と言われるのか。

それは、真の父母を信じる人の姿の中に「真」を感じたからでしょう。
「真」を感じるのは頭ではなく、「心」です。
「理性」ではなく「情」と言ってもいいし、「直観」と言ってもいい。

雨の日も風の日も、変わらない心で路傍に立つ。
それが1ヶ月でもなく、1年でもない。
2年続き、3年続き、5年までも続く。

伝道師をそのように行動させる原動力の中には、頭で理解した原理の力も勿論あるでしょう。
しかし第三者が神様を感じるのは、原理が伝道師の中で実体として現れたその姿です。
理論としての原理は、その後でいいのです。

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