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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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神は死んでいないか、どうか

20181026 

映画「God's not Dead」を観る。

「神は死んでいない」
と、どうして言えるか。

米国ではこういうキリスト教宣教のテイストをもつ映画がちょくちょく作られるようです。
(例えば「1畳半のクローゼット祈祷室」)

出来栄えは、それほど悪くはないが、やはりその宣教色がちょっと鼻につく。

無神論者であった大学教授が最後に車にはねられ、息を引き取る直前、牧師の説得で、
「私はイエスを信じる」
と言い残す。

物語の軸はその教授が持っている授業に参加した新入生の一人が、最初の授業でのやり取りから、
「神は存在する」
というプレゼンの機会をもらい、20分のプレゼンを3回することを通して、教授に変化が現れるという流れ。

プレゼンをした新入学生は純粋なクリスチャンで、友達には、
「僕にとってイエス様は今も生きている。その教えを裏切ることは考えられない」
と話すような男性です。

20分を3回で、わずか1時間。
その時間内で、無神論の教授と大方が無神論的な学生たちを、有神論的に説得することがどこまでできるか。

学識ではとても敵わない教授を相手に、若輩クリスチャンがどんなプレゼンをするか。
私としては、ここが一番興味をそそられたところです。

その学生も頭は悪くない。
教授が好きなホーキンスだとかチョムスキーなどの無神論的言辞を引用しながらも、ビッグバン宇宙論をどう有神論的に解釈するかなどといった論理を展開する。

教授としては、そんな付け焼刃的な勉強で組み立てたプレゼンなど、いくらでも突っ込みどころはあると踏んでいたが、学生のほとばしる熱心さに、思いもかけない力を感じたりもする。

一方で、教授は自分のクラスの学生であった女性と結婚しているのですが、彼女はクリスチャン。
2人の関係は信仰の違いからぎくしゃくし始める。

まあそんな流れがあって、最後には教授に変化が訪れるという「信仰勝利」のストーリーです。

青年が行ったトータル1時間のプレゼンの結果、80名あまりの学生たちのほとんどが、
「God is not dead」
と言いながら立ち上がる光景も感動的に描かれました。

確かに青年がかなりうまい具合にプレゼンをしたとは認めましょう。
しかし、現実はそれほど簡単なものではないだろうと思います。

論理を駆使して神の存在を証明しようとする試みは今に始まったことではない。
歴史をさかのぼれば、中世のトマス・アキナスも苦心したし、近代の始まりにはデカルトやアンセルムスなども試みています。

しかしどうもそういう、論理的には反駁が難しそうな説得は、改宗者を作るにおいて、思ったほどには効果がないように思うのです。

人間は
「理性的な存在だ」
とも言うが、本質はそうではない。

人が何かを信じるかどうかは、詰まるところ、
「それを信じたいかどうか」
という、非常に非理性的なところにある。

これは例えば数学でも、
「論理的には間違いないと納得できるのに、情的にはどうしても受け入れられない結論がある」
ということが証明されているので、間違いなかろうと思います。

ここに一つ、人はどのようにしてそれまでとは違う考えを受け入れるかという一例を示してみましょう。

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