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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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薬は苦いが、早く飲みなさい

20181025 

私たちが日常生活の中で遭遇するさまざまな困難を病気とその治療に例えて考えてみると、困難な事態によって今自分が感じている「苦痛」が「投薬」に当たると思われます。

苦痛自体は病気ではない。

例えば、風邪をひくと喉が痛い、頭が痛い。
その痛みは病気そのものではなく、風邪という病気を私に教えてくれる症状(サイン)です。
そうだとすれば、すべきことは症状を抑えることではなく、その症状のもとになっている病気そのものを治癒することです。

それと同じで、私が遭遇するさまざまな苦痛は私が抱えている課題そのものではなく、私が歴史的、血統的にどんな課題を抱えているか、そしてそれを解決すべき責任があるということを、私が悟るためです。
悟らせようとする主体は神様だと考えて、間違いないでしょう。

病気が潜んでいるのに苦痛が何もなければ、私は病気に気づかず、治療もしませんから、生命の危機に瀕する可能性もある。
だから、苦痛は有り難いものです。

歴史的な蕩減問題が潜んでいるのに、生活の中に何の苦痛もなく平穏に過ぎて行けば、私がその問題を解決する条件を立てる動機が生まれないので、私の代で解決されないまま、次の世代に引き渡される。

そう考えると、私が苦痛を体験するというのは、
「今ここで歴史的に残っている蕩減問題を解決せよ」
という神様からの通信だと思えます。

苦痛は、神様からの「投薬」です。

「与える薬を飲め」
というのは、
「今あなたが体験している苦痛を甘受せよ」
ということです。

しかしその薬は良薬なので、口に苦い。
それで、多くの場合、人はその薬を素直に飲もうとしない。

「こんな薬は私の口に合わない。こんな薬を飲むような謂われは私にはないはずだ」
と考えて、いつまでも苦痛を受け入れない。

そうすると、目の前に薬は準備されているのに、それを飲まないので、いつまでたっても病気が治癒しないということになるのです。

例えば、私の意に沿わない苦言を呈する人、やたらと私の欠点を指摘する人がいるとすれば、その指摘を受け入れるのは簡単でない。

「こういう人は私の近くから消えてくれればいいのに」
と思っても、なかなか消えてはくれない。

それは薬なので、神様は、
「早く飲みなさい」
と言っているのに、苦い薬だからなかなか飲もうとしない。

それで、その薬は目の前から取り払われず、ずっと置かれ続けるのです。

嫌な人の指摘が正しい指摘かどうか、それは分かりません。
甘受するというのは、指摘をそのまま受け入れよという意味ではない。
問題は、指摘が正しいかどうかという前に、その人は私に「投薬」するために神様が私に送ってくださった人だという事実です。

それを事実として受け入れ、
「私が蕩減条件を立てられるように来てくれて、有り難いな」
と思う。

そのように苦い薬もごくんと服薬すれば、病気がそこから治癒され始めるのです。

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