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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

君の目を見ると、輝いている

2018/10/20
神は摂理する 1
20181020

先日韓国家庭連合の主催で行われた大会で、一人の国会議員が来賓の挨拶をされました。
これまでも多くの来賓挨拶を聞いてきた中で、あまりにも出色の挨拶なので、少し紹介します。

その方は子ども時代に母を亡くし、あまりに貧乏で乞食のような生活をした。
学校は小学校までで、後は物乞いをして妹を養っていた。

ある時、大宇重工業の工場の正門で残飯を漁っていると、従業員に見つかってひどく殴られた。

そこへたまたま通りかかった社長が彼を見て不憫に思い、
「雇って使ってやれ」
と言ってくれたお陰で、それからその会社の掃除夫として働くことになる。

大宇から統一重工業までは、わずか数百メートル。
青年は大宇の材料を統一重工業へ運ぶ仕事をしていたところ、ある日黒塗りの車が数台入ってきた。

そこから最後に降りてきた男性がその青年に目を留め、
「こっちに来てみなさい」
と声をかけた。

行くと、
「ここで何をしているのか?」
と問うので、青年は、
「大宇からこちらへ材料を納入するために運んできました」
と答える。

するとその男性は、青年の顔をじっと見て、
「君の目を見ると、輝いている。将来何か立派な仕事をしそうな男だ」
と言われる。

その上で今の仕事を尋ねるので、青年は、
「超精密分野の仕事をしています」
と答えると、
「その分野でお前は必ず第一人者になるだろう。 最善を尽くして、目標をそこにおいてやれば、お前の夢は叶うだろう」
と激励される。
預言のようにさえ響く。

その時はその男性が誰か知りもしなかったが、後に文鮮明総裁だと分かります。

青年はその言葉を胸に秘めて、本当に精誠を尽くし、遂には韓国で超精密分野の国家品質名匠第1号に認定されるのです。

そして、ある日、文総裁の自叙伝出版記念大会が開かれるという話を聞き、招待状もないまま、その大会に参加する。
会場は立錐の余地もないほどの盛況で、空いた椅子も見つからず、後ろのほうに立つしかない。

文総裁の話は2時間ほども続いた。

話が終わって会場を出るために歩いてこられた文総裁が、彼の横を通り過ぎようとしたその刹那、足を止めて、
「お前、来たのか!」

「はい、参りました。昔仰っていただいた通り、名匠になってやって来ました」

「そうなると分かっていた。私の自叙伝の中に、どんな状況でも打ち克てる方法が書いてある。それを読んで頂点まで行きなさい。本を1冊上げよう」

そんな対話がなされました。
最初の出会いから何年たっていたのか。
若い青年が壮年になったのに、一度だけ会ったその人を一瞬で判別し、遠い過去にあったやり取りを正確に思い出されたのでしょうか。

青年の時のあの輝く目だけは変わっていなかったのかも知れない。

私なども10代の終わりにみ言葉に出会って献身し、それから数十年、教会員としての人生を送ってきたのですが、この国会議員はお父様に出会いながら、献身はせず、自分が今いる分野で腕を極め、その道における第一人者になった。

お父様に出会うというその出会い方は、一つではない。
人によって千差万別であり、「出会う」ということにおいて、お父様には何の壁もない。
出会ったその人が献身しようが、自分の道をそのまま行こうが、お父様の見る目には近いも遠いもない。

お父様と出会ったのちにその人がどんな道を行くかは、その人の心次第です。
問題は、その道を行くのにどれだけ精誠を尽くすか、そしてその結果、どういう地点まで登り詰めるか。

若い時の瞳の輝きが年をとっても変わらず、誇るべき実績をもって再びお父様に出会える日を持てるか。
それが本当に価値あることであると、国会議員の挨拶を聞いて思います。
そして、献身してきた身には恥じることが多い。

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Comments 1

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はちみつ

献身するということ

毎回興味深い記事をありがとうございます。

>出会ったその人が献身しようが、自分の道をそのまま行こうが、お父様の見る目には近いも遠いもない。

もう30年も前ですが、当時の寮母さんに献身を迫られました。
誘い方が強引で恐怖を感じ、その後教会から離れました。

「原理を聞いたのに献身しないと、地獄に堕ちる」
と随分言われました。その言葉を思い出すと、今でも怖くなります。
プライベートでは素晴らしい旦那、いい人達に囲まれて幸せです。
でも献身しなかったので、地獄に堕ちてしまうのでしょうか。

2018/10/22 (Mon) 19:01