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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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私の人生は短い

20181019

先日テレビを見ていると、青森の有名な霊能者が出演している。
悩みを抱える有名人、一般人数名の相談に乗るという企画です。

私が目を惹かれたのは、あるお母さん。
その方は娘を交通事故で、わずか6歳で亡くした。
小学校へ入学したばかりの、これからという時に、通学時突然に亡くなり、お母さんとしては悲しい。

悲しいばかりではない。
事故当日の朝、ちょっとした気持ちの行き違いで、娘の顔も見ずに送り出したことが、悔やまれてならない。

亡くなって何年経っても、
「なぜ、あの日に娘が事故で死ななければいけなかったのか?」
という疑問とも悔しさとも言えない思いを消すことができない。

女性霊能者はその家を訪ね、娘さんの遺品なども見ながら、ゆっくりとした口調でこんなふうに言い始めるのです。

「娘さんは、あなたを選んで生まれたかった。厳しい運命になると言われ、反対されたにもかかわらず、あなたを選んだのは、あなたが一緒に暮らしているおばあちゃんと過ごしたかったからです」

この話には、
「人は自ら親を選んで生まれて来る」
という特殊な観点や、
「輪廻転生」
という仏教伝来の考え方などが前提に含まれています。

この話が本当なのかどうか、証拠はないから、嘘かほんとか判断はしかねる。
しかしこのやり取りを聞きながら私が改めて思ったのは、人間というのはどうも、我々が生まれるとか死ぬとかの「意味」を知りたいという深い願望をもっている、ということです。

科学は検証可能な証拠を求める。
そして、物質的な次元で人間を探求していくだけでも、人体の驚嘆すべき精緻さを明らかにしてくれます。
生命科学は赤ちゃん誕生の神秘を解き明かしてくれる。
先端医療は病理の仕組みを解明して、治療技術を進化させる。

そのような科学は、
「人間は人知を超えた素晴らしい生命体だなあ」
とは感嘆させてくれるが、
「そのような私が、一体なぜ生まれてきたのか? 私の心を満足させてくれるような何らかの意味があるのだろうか?」
というような疑問には答えてくれない。

それで、科学がいくら高度に進歩しようと、我々の心は完全には満たされないように感じるのです。
「意味」を見つけられない人生は、基本的に我々には耐えがたい。

「娘さんは、自分の生涯が短い、わずか6年で終わるということを、心の根底で覚悟していたんです」
と言われると、それが本当にそうかという証拠はないが、心はどこか安らぐ感じもする。

お母さんとしては、
「あの日、笑顔で見送ってあげられなかった母親としての悔いは消えないとしても、娘は必ずしも自分の運命を恨んで死んだわけではない」
と思えるかも知れない。

娘の死ばかりではない。
もっと日常的に、例えば、怪我をする、病気にかかる。
そういう出来事の一つ一つにも、物質的、時間空間的な因果関係だけでなく、もう少し霊的な(と言ってもいいだろうか)理由があるかも知れない。

それを科学は教えてくれないので、宗教が担当してくれます。
原理もそうです。

原理も、
「あなたが遭遇する出来事はすべて、例外なく何か肯定的な意味があって出会っている」
と教えます。

ただし、証拠はない。
何か過去に原因があるとしても、それを特定することもできない。

「もしかして、これが原因かもしれない」
と自分ながらに推測できる場合もある。

しかしそれがはっきり
「そうだ」
とは断言できないので、我々はいつも、
「そうなのかも知れない。はっきりとは言えないが、『意味』があることだけは確かだ」
と考えることで、心を納得させる。

「原因を特定はできないとしても、それを『(肯定的な)意味』あることとして受け入れ、正しく対処できれば、必ずその原因は清算される」
と信じるのが、信仰の世界です。

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