「取って読め体験」はいかにして起こったか
ある講師が素晴らしい講義をしていて、その中で聖モニカを取り上げて、彼女の信仰について深く分析した内容がとても参考になりました。
その内容もいいのですが、それとともに印象に残ったのが一つの証です。
いくつもの場所で同じ講義をしてくるうち、あるところで講義に参加した人の感想文にこんなのがあった。
「聖モニカがやって来て、こんなふうに伝えてきました。『私についてこんなに詳しく紹介してくださって有り難うと講師の方にお礼を言ってください』と言われたので、お伝えしておきます」
聖モニカは聖アウグスチヌスの母で、カソリックでは聖人の一人に列せられています。
アウグスチヌスは30歳を過ぎてから洗礼を受け、そこから生まれ変わったように信仰を深めてキリスト教の偉大な教父となった人ですが、洗礼を受ける前は目も当てられないほど放蕩三昧の不良だった。
親のお蔭で高い教育を受け、弁論術を修めたものの、賭け事はする、盗みはする、その上10代で同棲を始め、1人の息子までもうけた。
彼自身が後に『告白』の中で書いている通り、若い頃の彼は肉欲の沼に溺れ切っていたのです。
聖書を手に取ってみたこともあるが、その文章があまりにも味気ないので歯牙にもかけず、当時盛んだったマニ教や新プラトン主義などに傾倒する。
北アフリカの今のアルジェリア辺りで生まれた彼は、ローマからミラノへと移りながら、弁論術の教師をするうち、そこで司教アンブロシウスに出会い、33歳の時に彼から洗礼を受けるようになるのです。
母のモニカはクリスチャンの家に生まれ、幼いころから信仰一途に生きた女性です。
砂一粒の中にも神様の神秘が宿っていると感嘆するほどですから、生活のどんな些細なことにも神様の恩恵を思い、賛美する。
アウグスチヌスはそういう母の熱心過ぎる信仰に、却って反発を覚えたのかも知れない。
自らキリスト教の信仰を持とうとはしなかったのです。
信仰を持とうとしなかったどころか、むしろ母を悲しませる道を20代を過ぎ30を過ぎても歩み続けた。
その彼が、一体どういうわけで33歳で洗礼を受けたのか。
実はその前年に、劇的な回心の体験をしたのです。
相変わらず肉欲の嵐に翻弄されていた時、自宅の外で遊ぶ子どもたちの声が聞こえた。
「Tolle, lege. Tolle, lege(取って読め、取って読め)」
という遊び歌の一節が耳に飛び込んでくる。
彼はその一節が自分に向けて発せられた天啓のように感じたのか。
手元にあった聖書を手に取り、ぱっと開いたページの聖句に、目が釘付けになる。
そこには、
「主イエス・キリストを身にまとえ。肉欲をみたすことに心を向けてはならない」(ロマ書13:13-14)
とあったのです。
このような不思議な(神秘的と言ってもいい)体験は、信仰の世界にはあり得ることです。
しかしそれが何の条件もなしに起こるのではない。
彼の場合、母モニカの30余年の変わらぬ祈りがあったと見るしかないと思えるのです。
彼女の信仰は純粋で熱心だとは言えます。
しかし、理論的に息子を説得できるほどの知恵はないし、有力な信仰の指導者に引き合わせてやるような人脈もない。
いくら息子に期待を裏切られ、追いかければ逃げていくような繰り返しであっても、彼女はただひたすら祈るだけだった。
アウグスチヌスは母のそういう盲目的とも思える信仰の束縛から逃れるようにローマへ行き、そこからさらにミラノに移って、そこでアンブロシウスと出会う。
そして、自宅にいるとき、たまたま子どもたちの歌を聞き、たまたま手元にあった聖書を手に取り、たまたま開いて読んだ聖句に電撃的な衝撃を受けたのです。
事実は小説よりも奇なり。
映画にしても面白いと思えるほど、稀有で劇的なストーリーです。
なぜこのような展開が起こったのでしょうか。
本人が嫌っていた信仰の道へと結局行き着いてしまったのは、母モニカの不変で忍耐強い祈りのお蔭でしょうか。
その祈りに神様が応えて、見えざる力で導かれた結果でしょうか。
しかし考えてみると、モニカは直接にはほとんど何もしていない。
むしろ彼女の信仰教育は息子の反感を招いているだけのようにも見えます。
ただ、裏切られても結果が出なくても、祈り続けている。
神様は直接に手を出されたのでしょうか。
神様もどこにも顔も手も出してはおられない。
ただ、アウグスチヌスは弁論術教師の職を求めてローマに行き、ミラノに行った。
そこで、司教アンブロシウスに出会って、感化を受けるのです。
そして、最後にあの決定的な「取って読め体験」。
こう見ると、モニカも神様も直接には働きかけていないのです。
人間も直接には他人を変えることはできない。
神様もまた直接には人間を導かれない。
すべて間接です。
ただ、導かれると感じるのは、そのいくつもの間接が絶妙な連携をもって展開していくように思われる時なのです。
この母子物語については、もう少し考えてみたいことがあるので、次に続きます。

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