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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

無に戻りなさい

2018/09/24
原理を学ぶ 1
20180924

去る8月28日、突然お母様が発せられた大号令による特別3日修錬がこの9月21日から始まり、昨日23日がその最終日。

ちょうどその日に、久しぶりに礼拝の説教を任せられたので、
「無に戻りなさい」
というタイトルで話しました。

8月28日にお話しされた
「過去の実績、現在の地位や権限、積んできた経験や知識などをすべて降ろして『無』になった位置から、心と体が一つになった姿で歩む努力をしなさい」
というみ言葉からもらったタイトルです。

タイトルをつけるのは簡単でも、「無」になることも、心身の統一もこの上なく難しい。
古来、多くの修行者たちは心身の統一を求めて出家をし、限りなく苦行を積んだりしたのですが、容易には到達できない境地です。
3日はおろか、40日の修錬であっても、不可能ではないかと思われます。

すると、3日修錬のために選別されたみ言葉集の中に、こういうみ言葉があるのを見つけたのです。

本当に100%感謝するとき、心と体が統一されます。そして、皆さんの周辺が幸せになります。

心身統一の方法が、きわめて簡潔に、しかもこれまでとはコンセプトのまったく違うアプローチが示唆されています。
「100%感謝の生活をすればいい」
というのです。

お母様のお話を聞いていると、「感謝」という言葉が頻繁に出てきます。
このように言われたみ言葉もあります。

神霊と真理によって常に目を覚まして祈り、万事に感謝する生活をすれば、天の父母様の声を聴くようになり、戦慄が走るように感じるでしょう。

実感がこもっているように感じられるみ言葉です。

「100%感謝」も「万事に感謝」も全く同じ意味で、感謝すべきことに例外はないということです。
感謝は感謝でも、並みの感謝ではない。
昔のような苦行ではないにせよ、この感謝もレベルがとても高い。

ご父母様といえども、努力なくしてそれができたのではないでしょう。
お父様の次のような祈祷文が残っています。

私たちは感謝して
生活することしかありません。

一人の男性の前に結ばれた妻が
不足だとしても、
生涯を通して奉仕できる
その何かがあるので、
その妻を下さったことに
感謝しなければならず、

あるいは子どもが私に
十字架の一生をくれても、
そうすることのできる立場を
準備してくださったことに
感謝しなければならず、

環境が私に
生涯を支えられない
絶望のどん底に追い込んだとしても、
それをいかなる条件を立ててでも
感謝の因縁として残して倒れよう、
と言える息子となるよう
お許しくださいますことを
切にお願い申し上げます。
(真のお父様の祈祷 1970年3月14日)

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はちみつ

感謝の境界線

「私たちは感謝して
生活することしかありません。」

不平不満を並べても事態は変わらない。それよりはどんな環境でも「幸せ」を感じていく人生の方が発展すると思います。

しかし、私はこの言葉に疑問を持ちます。
①「不平を感じちゃいけない、感謝しなくちゃ」と自分を抑え自分の感情に蓋をしていては、自分の気持ちがわからない人間になってしまいます。
カインとして「不平を言ってはいけない、そんな思いを抱くのも罪」だと教えられ、そのように生きて来ました。結果、疲れ果ててしまいました。我慢をし過ぎて、心が折れたのです。
私は「感謝、感謝」と言って自分の心を麻痺させるより、素直に自分の感情と向き合う方が健全であり、神様をそれを望んでいると思います。
自分の感情がわかると、危険や誘惑から身を守れます。
私達はロボットではないのですから。


②ちょっと極端ですが、自分の子供を殺害された、或いは強姦された。
こういう事態ではどうなのでしょうか? これらも「感謝」ですか?
『罪を憎んで人を恨まず』でいいのではないかと思いますが。

2018/09/25 (Tue) 10:18