セリグマン教授の原体験
マーティン・セリグマンは米国ペンシルベニア大学の教授で、所謂「ポジティブ心理学」の第一人者。
ポジティブ心理学は、このブログでも「肯定心理学」として何度か紹介したことがあります。
比較的新しい心理学の分野です。
どういう経緯でこの新しい心理学が芽を出したか、セリグマン教授の原点ともいえる体験が大変興味深いので、紹介してみます。
教授の元々の専門は、無力感や抑うつ、統合失調症、薬物依存、離婚などで、研究の目的は悲惨さや苦しみの軽減でした。
ところが、教授の娘が5歳になった時、こういう体験をしたのです。
5歳の娘と庭の草刈りをしていた時のこと。
娘は無邪気に刈った草を飛ばしたり、歌を歌って踊っている。
教授は娘のふるまいを見咎めて、
「草むしりをしているのだから、ちゃんと仕事をするように」
と言ったら、娘は何も言わずに離れていった。
しばらくたって娘が戻って来ると、こう言う。
「私は5歳の誕生日に、もうぐずるのはやめて泣かないって決めたの。それは今までで一番難しいことだったのよ。だからお父さんにもお願い。文句ばっかり言っている『頑固おやじ』をやめることができるんじゃない?」
娘の思いがけない言葉を聞いて、教授は3つのことを悟ったというのです。
一つ目。
これまでは、間違っていると思うことを厳正に見ることで成功してきたと思ってきたが、それは変えるべきだと気づいた。
二つ目。
親は子どもの間違っていることをただすのが役割だと思ってきたし、それで子どもは良い人間として育つと思ってきたが、それもナンセンスだ。
子どもそれぞれの長所や才能を見出して、それを育ててやることが親の本当の役割だと気づいた。
三つ目は自分の専門について。
それまでは問題を抱えた人の悲惨さや苦しみを消すことだけにフォーカスしていた。
謂わば、マイナスをゼロにすることばかり考えていた。
しかしそれは心理学の半分に過ぎない。
ゼロからプラスを伸ばす心理学があっていいのではないか。
この気づきが、ポジティブ心理学の発端となったのです。
娘と教授との間に起こった、この一見何気ない日常の出来事は、よく考えると、いかにも象徴的です。
心理学者である教授はその鋭い分析力で、患者を診るように娘を見ていた。
見えていたのは、当たり前のようにマイナスの面。
対象の「問題点」なのです。
その問題点を鋭く見抜き、指摘してあげ、是正してあげることができれば、それが娘のためになる。
そう信じてきたのですが、娘の一言で、
「そうではないようだ」
と気づいた。
教授の勘違いは、実のところ、かなり多くの(もしかして大多数の)人に共通する勘違いだったと思われます。
心理学者であった教授は、この勘違いを専門分野でも適用していた。
心理学者ではない一般の人たちも同じような勘違いをして、広く日常の人間関係に適用して暮らしている。
少し大げさに言えば、おそらく人類は相当長い間、この勘違いに気づかなかった。
ところが、教授は1980年代から1990年ごろにかけて、この勘違いに気づいたのです。
しかもわずか5歳の娘が放った一言で。
この娘がまた偉い。
5歳とは思えない論理的な言い回しです。
「お父さんは人生経験も豊富で、頭もいいかもしれない。でも、人の欠点を指摘するだけではいい結果は出ないよ」
このセリフ、言いたくてもなかなか言えないでしょう。
無邪気だが勇気ある5歳の女の子のお蔭で、人類の認識に小さな変化が起こった。
実に賞賛すべき発言でした。
(参考:世界日報社 Viewpoint「人生を豊かにする”前向き思考”」)

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