今、ここの「楽しみ力」
「NEW YOUTH」(8月号)という月刊誌に、世界平和青年学生連合のボランティア派遣員として1年間南米アルゼンチンで活動してきた女性の証が載っている。
彼女は30歳の会社員とあるから、勤め先を休職しての挑戦かとも思われます。
南米生活での体験の肝は、
「ラテンアメリカンの『楽しみ力』」
だと言う。
彼女はそれまで何年間か、学校を卒業して会社勤めをしながら、自分が本当にやりたいことが分からなくなっていた。
そして、仕事も自分の人生の一部なのに、どこか、
「やらされている感」
があった。
やらなければいけないと思う責任感。
やるからには、うまくやらなければいけない、失敗したくないという緊張感。
そういう思いに、
「今していることを楽しむ」
という心を見失っていた(と、南米の体験をしてみて気がついた)。
いかにも真面目な日本人という感じです。
やるべきこと、任された仕事はきちんとやろうとする。
しかし、そこに先行するのは義務感。
典型的な日本人である彼女は、アルゼンチンの人たちの中に入ってみて、違和感を覚える。
例えば、こんな体験があります。
60人規模のキャンプで食事当番をするとき。
肉料理を作るには、地元の人たちは、まず鶏をさばく。
パスタを作るには、まず粉を練る。
肉もパスタもスーパーで買ってくればいいのに。
全部を一から作り始めるので、日本女性にしてみれば、こんな食当はすごい重労働に感じられる。
ところが、地元の人たちはどうかというと、鶏をさばきながら冗談を言い合い、笑い合って料理を作る。
興が乗ると、歌も歌う。
重労働だ、しんどい、などという雰囲気は微塵もないのです。
また、ある時、こんなことがありました。
調理中に館内が急に停電になり、夕食の準備が間に合わなくなった。
「夕食はまだか」
という催促が何度も来る。
食当のメンバーは大慌てです。
ところがこの時、参加者の一人がギターを弾いて歌い始めたのです。
すると、周りの人たちも寄って来て、一緒に歌い出す。
電灯はないが、ろうそくの明かりを中心に輪ができて、大合唱になる。
夕食が遅れれば、その後のスケジュールも押してくる。
どう調整するかと、時間に正確な日本人なら思い悩む場面でも、そこの人たちには、食事が遅れてむしろ良かったかもしれない。
南米人のこういう気質を彼女は、
「楽しみ力」
と呼ぶのです。
どこか人気の観光スポットに出かける。
どこか人気のレストランに食べに行く。
どこか人気のコンサートに出かける。
そういうお金をかけた特別な楽しみを求める方法もありますが、南米の人たちが見せてくれたのは、「今」、「ここ」にいたままで楽しみを見つける方法です。
よくよく話を聞くと、地元の人たちの人生は決して安楽ではない。
日本の彼女が涙が出るほど苦労の人生を通過してきた人も結構多いという。
そういう人たちの「楽しみ力」には教えられるものが多くあります。

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