父の遺訓は消えない
「邦、死んで30年経ってから評価される人間になれ」
今やテレビなどでも顔の知れた武田邦彦教授。
子どもの頃、父親から言われ、いまだに引っかかる言葉がこれだという。
父親は明治生まれの数学者。
昔気質とでもいうのか、世間的なことには一切関心がない。
家庭的でもない。
数学だけが関心の対象という人だった。
そういう人としての思い出はあれこれある中で、冒頭の一言だけが今でも気にかかる。
そして、
「今の自分は、30年先のことを見て発言し、行動しているだろうか」
と、いつも自分を振り返る縁(よすが)になるというのです。
武田教授と言えば、2007年に
『環境問題はなぜウソがまかり通るのか
で、環境論議の常識に大胆な疑義の声を上げ、激しいバッシングを受けながらも次第に名前が世間に知られてきた人です。
その後も例えば、
『早死にしたくなければ、タバコはやめないほうがいい
『間違いだらけのエコ生活
『温暖化謀略論
など、世間の常識に二の矢三の矢を放ち続けるし、
ダイオキシン問題が騒がれた時にも、
「ダイオキシンはほぼ無毒」
などと発言して、相当なバッシングを受けたらしい。
「よくもまあ、これほどのバッシングを受けながら発言をやめない人だな」
と半ば呆れ、半ば感心もするが、しかし10年余りたってみると、世間の風が次第に変わってきているのも感じるのです。
「ただ単に世間に異を唱える変人というわけではない」
という共感が少しずつ浸透して、昨今では「役に立つ」と考えるメディアは教授を登場させる。
教授の話を注意深く聞いていると、敢えて奇をてらう人ではない。
根底は「科学者の目」なのだと分かります。
分かりやすい一例をあげれば、
「北極の氷が解ければ、海面の水位が上がって島が沈む」
という人が多い。
そしてツバルなどが次第に海に沈んでいくような映像を流す。
それに対して、
「アルキメデスの原理で考えれば、そんなことはあり得ない。中学生でも分かるはずのこんな基本的なことを、なぜ誰も言わないのか」
と教授は言うのです。
始めのうちこそ「?」と思う人が多くても、5年10年とたつと、
「このままでは近い将来、我々は水中に暮らすようになる」
などといった突飛な宣伝は影を潜めて来る。
そうすると、武田教授は考えるのです。
「私は5年から10年の後には認められる生き方をしているかも知れない。しかし、おやじが言ったような『30年後に認められる生き方』をしているだろうか?」
大抵の人は、30年先はおろか、5年先、10年先のことも考えはしない。
今の時点で、
「こうに違いない」
と大多数の人が思っていることを、自分も
「そうに違いない」
と思い込んで生きている。
だから、30年も先のことを考えて言う人を「奇人」だと思うのです。
父の言葉を聞いたのが10歳の頃だとすれば、もうかれこれ60年は経つ。
奇人の一言は30年どころか、60年経ってもまだ生き生きとして、その息子の中で人生を導いているのです。

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