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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

神の摂理の良いニュース

2018/08/25
世の中を看る 0
20180825

IT大手のgoogleが検索分野で新しいサービスを実験的に始めたという噂です。

その名も
「Hey Google, Tell Me Something Good」
(グーグル、何か良いニュースを教えて)

Googleによると、この世は今までのところ「Something Bad」(何か悪いニュース)に溢れている。
どこそこでは経済が下降傾向に。
どこそこでは汚職や陰謀が。
どこそこでは台風で大きな被害が。
どこそこでは親に虐待された幼い子どもが亡くなった..

こういうニュースばかりに触れていると、人によってはストレス、不安、鬱病、さらにはPTSDにさえなると警告する心理学者もいる。
実際、米国心理学会の調査によれば、半数以上の米国人がニュースがストレスになっていると回答し、多くが不安や疲労を感じ、その結果、不眠を経験していると訴えていると言います。

こういう状況の中で、Googleはどんな良いニュースを提供してくれるのでしょうか。

Googleがこれまでに紹介したニュースの中には、例えば、
「ジョージア州立大学が、学生たちの留年をどのように防いだか」
「アイスランドが10代の飲酒をどのように抑制しているか」
などといったものがある。

それらのニュース元は、中立の非営利団体「Solutions Journalism Network」が広範なメディアが提供するニュースの中から選択し、要約したものです。

このようなGoogleの試みには基本的に賛成ですが、良いニュースも悪いニュースもどこがその本当のソースかということを考えてみたい。

そのソースを一言でいえば、
「その出来事に出会う人間(私)の心」
だと思うのです。

出来事自体は客観的な現象であって、良いも悪いもない。
それを良いと受け止めるか悪いと受け止めるかは、私の心です。
従って、世の中に「良いニュース」と「悪いニュース」があるのではなく、どんな出来事にも、受け止め方によって「良い面」と「悪い面」があるのです。

これは何も、メディアがニュースにするような出来事ばかりではない。
我々が毎日体験するすべての日常的な出来事において、同じことが言えます。
そして、すべての出来事において「良い面」を見つけ出すことが、賢明な生活の仕方ではないかと思うのです。

このような見つめ方を、私は原理講論の中に見出すことができました。

アダム家庭は、カインがアベルを殺害することによって摂理的に失敗したと見做されます。
カインは己の堕落性を克服できなかったし、アベルはカインの気持ちを理解しなかった。
兄弟そろって欠点があり、責任を果たせなかったと批判的な評価をしがちです。
これは謂わば「悪いニュース」です。

ところが、次にノアの家庭が神様から呼ばれたとき、原理講論はその理由を、
「アベルが献祭を真心でささげた、その心情的な基台があったから」
と説明することによって、アダム家庭の「良いニュース」を提供してくれるのです。

しかし、せっかくのノアの信仰もむなしく、子どもたちの不信によって、ノア家庭の摂理も失敗に帰する。
その結果、第3の家庭としてアブラハムが呼ばれるのですが、その時も原理講論は、アベルとノアの信仰が土台となったと説明します。

最後の結果として失敗だと見做されるようなこと(悪いニュース)であっても、その中には神様が記憶にとどめ、次の摂理の土台として使えるような要素(良いニュース)が必ずある。
そのわずかな要素をつなぎ合わせるようにして、神様は長い摂理を継続していかれたという見方が、原理講論の根底にあるのです。

良いニュースをもっと多く提供しようというGoogleの試みはとても良いと思うのですが、一見悪いニュースの中に隠れて見えにくい良いニュースを発掘してくれるような試みがあれば、もっと良いと思うのです。
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