FC2ブログ

教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

TOP >  瞑想日記 >  人生の最前列に座る

人生の最前列に座る

audience  

日曜日の礼拝や講演会などで、聴講者が並べられた椅子に座るとき、その座り方には一定の傾向があるようです。
一番早く来た人も、そのほとんどは最前列から座ることがありません。
大抵は2列目以降に座り、人によってはできるだけ後ろに席を取る人もいます。

最前列に座る人には、3種類あります。

① 遅れてきて、最前列しか残っていないので、仕方なく座る人。
② 最前列が取れる限り、できるだけそこに座ることに決めている人。
③ 最前列に座るよう、決められている人(来賓など)、あるいは周囲から勧められる人。

②のような人は、例えば、清平の3000人は収容する大聖殿に集合するときも、個人的な用事をできるだけ早く済ませて、集会が始まる何十分も前から最前列 の場所取りをします。
早朝5時から集会が始まるなら、2時や3時から起きて準備をするのです。

そういう人を、
「熱心党」
と呼んだりもしますが、それ以上の何かがあります。

ある講演者の証言です。

かなり大規模な講演会の時、30そこそこの男性が会場の最前列の真ん中に、背筋をぴんと伸ばして座っていた。
講演の間、彼はずっと熱心に耳を傾け、なんどもメモを取り、ジョークには声を上げて笑い、感動的な場面では声を上げて泣いた。
ときには、居眠りをしかける隣の人を小突いて、「もっと熱心に聞け」と促すこともあった。

講演が終わると、彼は講演者のところへやって来て、著書にサインを求めた。
サインをする間、彼は、
「素晴らしいお話を聞かせていただき、ありがとうございます」
と感謝した。

講演者は、「いいや、こちらこそ、ありがとう」とお礼を言いながら、彼に尋ねた。

「君からはあふれんばかりのエネルギーが伝わってきました。それに君は、最前列の真ん中で、背筋をぴんと伸ばして座っていましたね」

すると若者は、「ぼくは、祖母から学んだのです」と言いながら、話し始めた。

「祖母は昨年亡くなったのですが、葬儀に来た人は誰も涙を流しませんでした。楽しいことだけでなく、辛いこと、悲しいことも、いろいろあったでしょうが、祖母は何一つ思い残すことなくこの世を去って行ったことが、誰にも分かったのです。
祖母はいつも、精一杯生きていました。与えるものはすべて与え、受け取るものはすべて受け取って生きました。毎日誰かを思いやり、誰かのために尽くしたのです。
そんな祖母を見ていて、ぼくは学んだんです。どこにいて、何をしようと、1日1日、一瞬一瞬を最前列で過ごすよう努力すれば、必ず幸福に死んでいけるだろうと」

会場の最前列に座るというのは、ただそういう場所が好きで座るのではないとも言えます。
最前列に座るというのは、人生の生き方の姿勢そのものなのです。

どんなことであれ、精誠を尽くして、最も多くのものを吸収しよう。
自分の持てるものを、惜しみなくすべて与え尽くそう。

そういう生き方を、
人生の最前列に座る
と呼んでいいでしょう。

よろしければ1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村

【お勧め記事】
震えるポプラ
賢い老人
これが最後だ
関連記事
スポンサーサイト



* by ドラミちゃん
昨年12月、清平の宣布教育に参加し、班編成される時のことです。一緒に参加した人が、前に出ようといって一番前に行ったところ、予定外に適当に班長の指名を受け、私はずっと最前列に座ることになりました。しかも、講師の机の最短距離の位置に。講師から最も視線を浴びるので、うとうともできません。背が低いからでもあり、よく吸収したいからでもあり、前列の好きな私のことを、神様はよくご存知だったと感謝一杯でした。
さらに感謝することは、班の仲間が小さな私のことを「班長さん、班長さん・・・」と呼んでくださり、とての楽しく貴重な交流の場となったことです。早速年賀のやりとりをし、大切な姉妹となりました。ちなみに一緒に参加した姉妹は、いつの間にか仲間から「副班長さん・・・」と呼ばれて慕われていました。

* by 平和を愛する天国人
日曜礼拝の司会をするといつも困るのは「最前列が空く」こと。

清平修練会や真のご父母様や御子女様の集会では真っ先に最前列がうまるのに、毎週の礼拝では逆のことが起こります。

普段の礼拝でも「真のご父母様が礼拝(説教)される」と思いながら参加すると恵みが大きく変わるのにと思っているのですが、こちらのブログを読みながら「人生の最前列に座る」生活を日々どれだけ意識して行っているかがすべて現れるのだと感じました。感謝です。

宣布教育の証に * by 教育部長
貴重な体験の証をありがとうございます。
内的な姿勢は、人よりも神様の方がよく見ておられますね。

礼拝の悩みに * by 教育部長
最前列に座るのは、ある意味、勇気のいることですね。
自分というものを隠せない、という感じがします。
普段からの生き方がやはり現れるものだと感じます。

管理人のみ閲覧できます * by -

コメント






管理者にだけ表示を許可

昨年12月、清平の宣布教育に参加し、班編成される時のことです。一緒に参加した人が、前に出ようといって一番前に行ったところ、予定外に適当に班長の指名を受け、私はずっと最前列に座ることになりました。しかも、講師の机の最短距離の位置に。講師から最も視線を浴びるので、うとうともできません。背が低いからでもあり、よく吸収したいからでもあり、前列の好きな私のことを、神様はよくご存知だったと感謝一杯でした。
さらに感謝することは、班の仲間が小さな私のことを「班長さん、班長さん・・・」と呼んでくださり、とての楽しく貴重な交流の場となったことです。早速年賀のやりとりをし、大切な姉妹となりました。ちなみに一緒に参加した姉妹は、いつの間にか仲間から「副班長さん・・・」と呼ばれて慕われていました。
2010-05-05 * ドラミちゃん [ 編集 ]

日曜礼拝の司会をするといつも困るのは「最前列が空く」こと。

清平修練会や真のご父母様や御子女様の集会では真っ先に最前列がうまるのに、毎週の礼拝では逆のことが起こります。

普段の礼拝でも「真のご父母様が礼拝(説教)される」と思いながら参加すると恵みが大きく変わるのにと思っているのですが、こちらのブログを読みながら「人生の最前列に座る」生活を日々どれだけ意識して行っているかがすべて現れるのだと感じました。感謝です。
2010-05-05 * 平和を愛する天国人 [ 編集 ]

宣布教育の証に

貴重な体験の証をありがとうございます。
内的な姿勢は、人よりも神様の方がよく見ておられますね。
2010-05-06 * 教育部長 [ 編集 ]

礼拝の悩みに

最前列に座るのは、ある意味、勇気のいることですね。
自分というものを隠せない、という感じがします。
普段からの生き方がやはり現れるものだと感じます。
2010-05-06 * 教育部長 [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-06 * - [ 編集 ]