第二世代をめぐる攻防
先週の礼拝でノア家庭を題材として説教したのですが、その後もいろいろ考えていると、
「第二世代が重要だな」
ということに、改めて思い至ります。
第一世代のノアは120年をかけて巨大な箱舟を建造し、大洪水も乗り越えて信仰を示した。
ところが、彼の子どもたちに摂理を継承するときに上手くいかなかったのです。
神の摂理を妨害する者からすれば、第一世代は立派でもいい。
摂理はそれを引き継ぐ第二世代が必要で、その引継ぎがうまくいかなければ摂理は挫折せざるを得ない。
だから、妨害者は第一世代より第二世代が劣ることを願い、画策するでしょう。
李耀翰牧師は、信仰の相続ということについて、こう説教しています。
欠点を見ても父を尊敬し、裸体を見ても神に仕える心を持ったならば、父より出来の良い息子になることができたのです。その瞬間に信仰の相続がなされるのです。
これはつまり、前の世代より後の世代が「出来が良く」てこそ相続がなされるということです。
どのようにすれば後の世代のほうが出来が良くなるか。
女性、お母さんが問題だなと思います。
どのような心で子どもを待ち望むか。
どのような気持ちで子どもを身ごもるか。
良い心があれば、神様もその女性の胎に貴い愛の力を注ごうとされるでしょう。
アダムの家庭でもノアの家庭でも、子どもたちが上手くいかなかった。
ノアの妻は、その名前さえ聖書は記録していません。
ところが、アブラハムの家庭は違っていた。
アブラハムは最初の献祭に失敗するのですが、彼の息子イサクがそれを見事に埋め合わせ、父から子へ信仰の相続がなされた。
李牧師の言を借りれば、父よりも息子のほうが信仰基準が高かったので相続がなされ、摂理はきわどいところでつながったのです。
イサクの信仰を考えるとき、母親のサラがそれまでの女性と何か違っていたのかと考えてみることができます。
サラ(元の名はサライ)は気品のある美しい女性だったようですが、「うまずめ」だったと、聖書にあります。(創世記11:30)
それで一旦は、当時の風習に倣って女奴隷ハガルをアブラハムに与え、イシマエルという息子を得ます。
ところがその後に、なんとサラ90歳にして自ら息子(イサク)を生むのです。
イサクが生まれてみると、サラにとって今度はハガルとイシマエルが厄介になる。
「追い出してほしい」
とアブラハムに懇願すると、アブラハムは困って神に祈ってみる。
すると神は、
「サラが願うようにせよ」
と答えたというのです。
このような葛藤はあったものの、イサクは幼い頃から非常に父親思いで、かつ生来の信仰があったようです。
その要因を推測すれば、サラが「うまずめ」であったことと無縁ではないような気がします。
神はアブラハムに
「お前の子孫は空の星の如くなる」
と祝福される。
ところが、肝心の妻は「うまずめ」で、妊娠期を過ぎても一向に子どもを懐胎しない。
アブラハム以上にサラは神の祝福と己のふがいなさの間で深く葛藤し、わずか一人でもと息子を願ったことでしょう。
その願いの果てに、やっと生まれたイサクです。
神様からすれば、アブラハム以上に信仰のある第二世代を生ませなくてはならない。
妨害者からすれば、そういう息子を生ませたくない。
アブラハムが最初の献祭に失敗した後、神様は彼に、
「お前の息子を捧げることを願う」
と告げられました。
これは神様にとって、極めて危険な賭けでした。
妨害する者にとっては、「出来の良い」第二世代は最も困る。
だからもしかすると、「イサク献祭」は妨害者が神様に提示した要求だったのかも知れない。
しかし神様にとっては、イサクは絶対に失えない第二世代なのです。
結果的に、父と子は神様の願いに応えました。
このような親子の信頼関係は、史上稀にみるものです。
そして、この親密な父子関係は、その後、孫の代で兄のエサウが弟のヤコブを殺す手前で留まることで、摂理がつながる遠因にもなったと思われます。
そのように考えると、一人の女性がどのような子を生むかによって、後々の摂理までも連鎖的に左右する。
極めて重要な摂理的教訓だとも言えます。

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