家族で生きる国
先日参加してみた「家庭」を主要テーマとしたセミナーの中で、「なるほど」と思ったことがある。
このテーマについて関心を持ってよく考え、取り組んでいる人にとっては特に目新しいことではないかも知れないのですが、重要なポイントだとは思います。
日本の将来を見るとき、必ず第一の懸念材料となるのが「少子高齢化」。
現在1億2000万を超える人口も、これからは年々減少していって、2060年には9000万を割り込むと見られています。
こういう人口減少を懸念する理由は、大抵が第一に「労働力不足」、それから「年金問題」などです。
生まれる子どもが減れば、労働力も当然減るわけだし、しかも高齢化が同時に進めば、年金制度において若い世代の負担が増える。
大丈夫だろうかという懸念は、あって当然です。
しかし、人口数だけで考えるのなら、例えば、先の大戦直後の昭和25年の日本人口は約8000万。
今の3分の2であり、2060年の予想人口よりも少ない。
ところが、そこから日本は加速度的に人口が増えていき、経済的にも発展していった。
そこで、考えるべき点が2つあると思われます。
一つは、その人口の世代分布です。
当時の平均寿命は男性が60歳、女性が68歳。
そして、人口の3分の1が14歳以下の子どもたちでした。
これなら、その後に人口が増える可能性があり、実際増えていったのです。
しかし、子どもたちが多いというだけでは安心できない。
二つ目のポイントは、その当時、30歳までの90%が結婚していたという事実です。
ここが現在の日本、そしておそらくは将来の日本との大きな違いです。
子どもたちが成長し、成人になったとき、大半の男女が結婚していくかどうか、ここが重要なポイントになります。
例えば、平成22年の国勢調査によると、30歳での既婚率は約58%。
昭和25年の90%から大幅に下がっています。
しかも、30歳で未婚の42%が5年後に結婚できる確率はせいぜい30%、10年後でもやっと50%に過ぎない。
このような数字を分析した上で、セミナーの講師が提示したコピーが、
「家族で暮らす国から、一人で生きる国になる」
というものでした。
仮に2060年、日本の人口が9000万となったとしても、問題はその9000万が、
「家族できる人たちなのか、一人で生きる人たちなのか」
ということです。
どちらのパターンになるか、これはとても大きな違いを生むでしょう。
もちろん、家族と言っても千差万別で、さまざまな問題を抱えていますし、一人の生活が必ず悪いとも言えません。
それでも、家族関係による人間性の涵養とか精神の安定など、かなり大きなアドバンテージが期待できるのも確かでしょう。
将来の人口が9000万どころか、たとえ5000万になったとしても、その人たちの大半が「家族で生きる」人たちであれば、日本は概ね大丈夫、心配する必要はない。
人口は減っても、一人一人がしっかりした労働者になる。
年金制度は難しくなっても、家族の力がそれを補填できる可能性がある。
問題は、人の数ではない。
その人たちが、どんな単位で生活しているかという、中身がもっと重要です。
それなら「家族」という単位をいかに健全に維持できるか。
ここにはいろいろと細かな配慮や工夫、努力が必要でしょう。
本人だけの努力ではおぼつかないので、より大所からの計画的な教育が必須であり、そのためには教育のベースになる「結婚観」「家庭観」とも言うべき哲学も必要と思います。
これもセミナーの中で話されたことですが、現在シングルマザーが増えているということは、一方において、その女性と離婚したシングル男性も増えているということです。
彼らの中には再婚する人もいるでしょうが、一人で余生を生きる人もいる。
ところが、男性は女性に比べて孤独に弱い。
それで、シングル男性はシングル女性に比べて、鬱になる率が2.7倍も高いというのです。
どうも男というのは、周りから支えられてこそ力が出るもののようです。
その辺を女性がよく弁えておかないと、家庭をうまく維持するのは難しいかもしれない。
一方、家庭の中で女性(特にお母さん)が幸せだと、家族は安定し、子どもたちは結婚願望が強くなる。
家庭においては、女性の役割がとても重要だということが分かります。

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