世界で起きる悪いことはすべて、自分の責任だと思いなさい
5歳の女の子が父母の虐待を受けて亡くなったという事件。
彼女が残したノートの内容があまりにも切なくて、ニュースにも繰り返し触れたくないのが正直な気持ちです。
しかしこの件に関わるコメントをいただいたので、改めて整理すべき良い機会かと思います。
コメントは、
「子供に『苦痛を自分の問題と考えなさい』と言っても理解出来ないと思います。あのような陰惨な事件が無くなるためにも、我々が第三者の立場で祈るしかないですか?」
というものです。
さて、第三者であると思える我々には、一体何ができるのでしょうか。
かつて、
「その事件を私の中で正すにはどうすればいいのか?」
という記事を書きました。
その中に、久保木修身元会長の証を紹介しています。
「久保木、世界で起こる悪いことはすべて、自分の責任であると思わなければならない」
これは、文鮮明先生が久保木氏に教えられた一言です。
世界では次々に深刻な事件が起こる。
記事の中でも書いた通り、ロシアで自爆テロが起こる。
シリアで化学兵器が使われる。
そんなことすべてを自分の責任だと思えというのでしょうか。
文字通りに受け取れば、これほど重いみ言葉はない。
文字通りでないとすれば、象徴的に言われたのでしょうか。
普通に考えれば、遠いロシアでの出来事は私にはほぼ関係ないし、ましてや私の責任でもあり得ない。
もし自分の責任だと思ったとしても、人類のメシヤならざる私に一体何ができるのか。
ところが、この文先生の教えと本質において軌を一にするものがあるのです。
ハワイの人間州宝、モナ・ナラマク・シメオナが創始し、国連などにも紹介された独特の問題解決の手法「SITH(Self Identity Through Ho'oponopono)」です。
これについては、このブログでも度々取り上げてきました。
そのいくつかを下にリンクとして貼っておきますので、関心のある方は読んでみてください。
SITHでは、この宇宙が創成されて以来蓄積されてきたさまざまな記憶が、私たちの行動や生き方に反映され、数々の障害、苦悩を生み出していると考えます。
したがって、その記憶を消してしまえれば、そのような悩みは苦しみもなくなると考えるのです。
しかも、この記憶は個人個人が別々に持っているのではなく、人類すべて、さらにはすべての万物までが共有しているものです。
それで、ある個人が一つの記憶を消去すれば、それを共有しているすべての人、ものも、その記憶から解放される。
そういう意味で、私は広く世界に関わることができるし、また同時に、世界のすべてに責任もある。
私はこのSITHを十数年前に知り、以来、いろいろ考え続け、自分なりに取り組んでも見て、自分の人生にとって極めて有用ではないかという気持ちに至っています。
ただ、問題の原因を「記憶」というとても内面的なものに規定するために、解決方法も自分の中で完結すべきものと考え、実際の行動力に乏しいのではないかという懸念もあり得ます。
文先生が同じ趣旨のことを言われる場合、同時に国際会議を主催し、大会を開き、各国の首脳と会談される。
そういう行動が伴わなければ、いくら記憶を消すなどと言っても、現実世界を変えられないではないか。
そういう批判もあって当然です。
しかし、すべての問題は私(人間)の内面から始まる。
だから、問題の解決も、私の中から始まらなければならない。
私はそう思うのです。
そして実際、SITHは行動を決して軽視してはいない。
このことを前提として、今回のコメントの内容について考えてみようと思います。

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