霊界コンピューターのボタン
昨日の記事に続き、追加の2つ目です。
皆さんの良心が自分の生涯をすべて知っているように、全ての内容が霊界のコンピューターに入力されます。良心は永遠の世界のコンピューターのボタンです。
良心の呵責を受けることであれば、それがそのまま入力されます。良心の呵責を受けない人生であれば、きれいな生涯として記録されます。霊界に行くと弁解ができません。
(『天聖経』7-3-2-17)
このみ言葉を見ると、良心は善悪のすべてを知っていて、我々が人生で体験するすべての内容はその良心の判定を受けて霊界のコンピューターに入力されていく、ということのようです。
今日我々が慣れ親しんでいるイメージで考えると、ネットの検索窓に自分の名前「ダレノダレベエ」と入力して検索ボタンをクリックすると、自分の生涯の記録が細大漏らさず、ザーッと出てくる。
そして、出てきた内容について、神様(あるいはその代理人)に問われたとき、弁解が一切できない。
これは相当恐ろしいみ言葉です。
良心の呵責が全くない人生を送った人であれば心配する必要はないでしょうが、大抵の場合、思い当たる呵責が一つや二つではない。
それらがすべて表示されるばかりか、弁解もできないというのです。
霊界に行くと、なぜ弁解ができないのでしょうか。
前回の記事でも見た通り、人間の責任分担について神様は、
「果たしたのか、果たさなかったのか」
という事実を問われるのであって、
「なぜ果たせなかったのか」
という理由は問われない。
理由を聞いてくだされば、何か言えるかもしれませんが、それが弁解になったらだめです。
どうも神様という方は、弁解を好まれないようです。
ご自身も弁解をされない方なので、人の弁解も聞きたくないのだろうと思います。
かつて洪順愛(ホン・スネ)大母様が霊界に入って行かれるとき、神様から21の質問を受けたと証言されたのを聞いたことがあります。
「あなたは地上で真の家庭を成したのか?」
これが最初の質問だったそうです。
この後に続いた20の質問については具体的に話されなかったものの、それらすべてに合格したので、清平の役事を許された訳でしょう。
これらの質問に合格するには、「YES」と答えるか、あるいは完全に「YES」と答えられなくても、せめて弁解にならない理由が出てこなければなりません。
今の私にできることは何でしょうか。
「YES」と答えられるよう努力することが第一。
第二は、弁解の習慣性を脱することです。

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