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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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事実を聞かれたのに、理由を答えるとは

20180603

およそ1か月ぶりに担当した礼拝の説教、タイトルは
「良心に従った初動対応」。

先日書いた記事「初動対応の躓き」を底本としたものです。
記事は1時間そこそこで書き上げたのですが、説教となると丸5日間、文字通り朝から晩まで考え詰めでした。

もっとも、考え詰めた割には多くのものを追加したわけでもない。
追加した2つを取り上げてみます。

一つは、エデンの園でのアダムとエバの初動対応。

2人が戒めを破って木の陰に隠れた時、神様から聞かれた。
「食べるなと命じておいた木から、あなたはなぜ取って食べたのか?」

これまで原理講義をする時にも、私はついそう話してきました。
ところが聖書を丁寧に読めば分かる通り、これは間違っている。

神様はアダムにこう聞いておられるのです。
「食べるなと命じておいた木から、あなたは取って食べたのか?」

神様は「なぜ?」とは聞いておられない。
「取って食べたかどうか」
という「事実」を聞いておられるのです。

私がつい、神様が「理由」を聞かれたと思ったのは、アダムが、
「あの女が木から取ってくれたので、私は食べたのです」
と、理由を答えているからです。

細かいことを言うようですが、事実はこうです。
神様は「食べたかどうか」という「事実」を尋ねられたのに、アダムは「食べた理由」を答えている。
しかも、その理由はどう見ても責任転嫁をするための「弁明」です。

聖書記者がそこまで弁えて書き残してくれたのかどうか。
それは分かりませんが、細かいことのように見えて、かなり重要な記述なのです。

どうしてこういうやり取りになったのでしょうか。

戒めの通りに「取って食べない」ことはアダム(とエバ)に任された責任分担でした。
それを果たしたかどうかで神様は2人を主管される。
それでこの期間を「原理結果主管圏」とも呼ぶのです。

ですから、神様が
「取って食べたかどうか」
という結果を聞かれたのは、原理的に見て正しい。

その問いかけに対してアダムは、
「YES(食べました)」
あるいは
「NO(食べませんでした)」
のいづれかで答えるべき立場です。

それなのにアダムが理由まで答えたのは、良心の呵責に耐えかねたからではないでしょうか。
自分の行為を正当化して良心を納得させるしかなく、できるなら何らかの情状酌量を引き出したいとも思う。

このような心理は、我々にはよく分かる。
分かり過ぎるくらいに、よく分かる。

「弁明の後孫」
と言うしかありません。

追加したもう一つについては、次回の記事で。

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