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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

堕落性を脱ぐ生活②「なぜその声を聞かなかったのか」

2018/05/20
私の中の世界 1
20180520-1 

なぜ弁解してしまうのか」の続きです。

「弁解」というの名の数百万年も続いてきた堕落性が、いつ、どこで、どのように始まったのか。
それを正確に分析してみましょう。

それはエデンの園にまで遡ります。

アダムとエバが善悪の実を取って食べた後、神様に
「あなたはそれを取って食べたのか」
と問い質されました。

最初にアダムはこう答えました。
「私と一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、私は食べたのです」

これを何というのでしょうか。
残念なことに、典型的な「弁解」と言うしかない。

彼自身が食べたのは事実なのに、あたかもエバに騙されたか、あるいは無理やり口に詰め込まれたとでも言いたそうです。

これは決して神様が願う答えではなかったでしょう。
しかしアダムが
「私は責任を取らない」
と言うので、神様は仕方なくエバに同じ質問をします。

するとエバは、
「蛇が私を騙したのです」
と答えた。

これもまた「弁解」でしょう。
アダムはエバに、エバは蛇に責任を転嫁したので、神様は蛇に責任を負わせるしかない。

責任をとる者が主人となり、責任を足らない者はその僕となる。
こうして、サタンが「この世の君」となったのです。

神様はアダムとエバに良心を埋め込んでおかれました。
良心は第2の神です。

先ほどの質問は、
「あなたの良心に『取って食べてはいけない』と教えておいたのに、なぜその声を聞かなかったのか」
ということです。

それに対して、アダムとエバは自分の良心から答えたのでしょうか。
決してそうではない。

良心は2人の中で、
「あなたが良心の声に従わなかったのが問題だ」
と訴えているのに、2人は耳を塞ごうとしたのです。

耳を塞がなくては、辛くて仕方ない。
そして良心を納得させるための理由を自分の外に探す。

アダムとエバの場合、これに加えて、もう少しややこしい問題が潜んでいます。

アダムが
「あなたが私と一緒にしてくださったあの女が … 」
と言う時、その言葉の奥には、
「神様、あなたはどうしてあんな女を私の隣に造られたのですか」
と神様を責める思いが隠されています。

エバの弁解の中にも、
「神様が狡猾な蛇なんか造らなければ、私は食べなかったのに」
と神様に責任を転嫁しようとする心根が感じられます。

神様を責めながら、自分の良心の声に耳を塞ぎ、神様との関係を断っていく。
このようにして堕落性の根が形成されていったと思えます。

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Comments 1

There are no comments yet.

華道

その通りです

いつも ありがとうございます。

自覚なく そのように生きてきました。
そして 今もそうなので しっかり 私の心をみて 分別するためには みことばが必要です。

2018/05/29 (Tue) 10:43