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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

たった2つのみ言葉

2018/05/17
瞑想三昧 1
20180517 

イエス様が宣教中に一人の律法学者から質問を受けます。
「律法の中で、どの戒めが一番大切なのですか?」

するとイエス様は、数ある律法の中からわずか2つだけに絞って答えられる。
第一が、心を尽くして主なるあなたの神を愛せ。
第二が、自分を愛するようにあなたの隣人を愛せ。

これは聖書の中でも有名なエピソードです。

律法学者は「イエスをためそうとして」聞いたとありますが、むしろイエス様の知恵として聞いてみたい質問です。
膨大な律法は、それを学ぶことも大変だし、ましてやそれを全部実践することはもっと難しい。

それなら、その中からエキスを取り出し、
「これだけでも順守すれば全体に匹敵する」
というものが分かれば、どれだけ有り難いかと思います。

奸計によって投げかけられた質問だったとは言え、イエス様が律法をわずか2つにまとめて下さったことは、その後のキリスト教にとってどれほど大きな恩恵になったでしょうか。

不思議な気がします。
肝心なみ言葉はいつもたった2つがセットになって現れるのです。

エデンの園にいたアダムとエバに神様が与えたみ言葉も2つです。
三大祝福のみ言葉と、戒めのみ言葉。
前者が人生のゴールを示すものだとすれば、後者はそこに至る道筋を示すものだと言えます。

この2つのみ言葉が実際どのような表現で2人に伝えられたのかは分かりませんが、少なくとも膨大なみ言葉集はなかった。

真のお父様文鮮明先生はその生涯で膨大なみ言葉を残されましたが、自身が直接に神様から受けた本質的なみ言葉(啓示)は、わずか2つではなかったかと思われます。

一つが、
「宇宙の根本は父子の関係である」
というもの。

そしてもう一つが、
「愛は直短距離を通る」
というものです。

それを種として、お父様は膨大なみ言葉を構築していかれたと思います。

そして、真のお母様。
お父様が残された膨大なみ言葉を2つにまとめられました。

「『感謝します』と『愛しています』。この2つさえ本当に分かれば、原理のすべてが分かります」
と言われたのです。

「み言葉」
という表現をよく使うのですが、
「み言葉とは、何だろう?」
と考えることがあります。

600項の原理講論もみ言葉というし、お父様の話されることもすべてみ言葉という。
近くは、牧会者が壇上に立って話せば、それもみ言葉という。

しかし一方でお父様は、
「男性の前に最高の真理は女性であり、女性の前に最高の真理は男性である」
とも言われる。

原理講論の総序には、
「もちろん、真理は唯一であり、永遠不変にして、絶対的なものである。しかし、… その真理を教示する範囲とか、それを表現する程度や方法においては、時代によって変わらざるを得ないのである」
とあります。

教会で原理講義その他の講義をしながら、
「講義は長い。長くすればするほど、受講者も講義者も肝心なことが見えにくくなるのではないか」
と思うことがあります。

新しい人であれ、古い人であれ、祝福候補者であれ、教会の教育を受けてもらうということになると、まずはやはり原理講義から入る。
それなりのレベルで一通り講義しようとすれば、最低でも8時間。
その後さらに、現代摂理、信仰講座などを加えると、かなりの時間になるのです。

アダムとエバはたった2つのみ言葉さえ掴んで実践すれば完成するようになっていた。
お母様はたった2つのみ言葉さえ分かれば、原理全体を掴むことができると言われる。

願わくは、できるだけみ言葉の少ない教会。
できるだけみ言葉の少ない家庭。
そして最後は、私自身が真理になる。

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Comments 1

There are no comments yet.

華道

本当ですね~

ありがとうございます。
みことばは神様の愛ですが 堕落して
無知に陥り それがわからなくなってしまったので わかるまで
講義とか 説教とか 和動とか 長くなるしかないんでしょうね。

2018/05/18 (Fri) 09:08