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感謝する生活追補「アベルを変えようとしない」

kitasendo
20180504 

先日まで6回にわたって「感謝する生活」の講義を抄録してきて、一応結論までいったのですが、追補してみようと思います。

私たちが今日、生活の中で遭遇する苦痛、さまざまな問題の根本起源は、アダムの家庭にあると考えられます。

人類初代のアダム・エバは愛の問題を起こし、その後、責任転嫁をするという堕落性の根を作りました。
さらにその二世であるカインとアベルは、妬みから殺人事件を起こしたのです。

ここでは二世の長男であるカインに焦点を当てて考えてみます。

弟アベルの供え物は神様に取られたのに、カインはなぜか拒否された。
彼が憤ったのは当然ですが、それでも彼が神様に受け入れてもらうには弟を通すしかない。
それがカインにおける「堕落性を脱ぐための蕩減条件」だと、原理講論では説明されています。

ところが、アダム家庭の「実体基台」の部分には、こんなことが書いてあるのです。

我々の個体の場合を考えてみると、善を指向する心はアベルの立場であり、罪の律法に仕える体はカインの立場である。したがって、体は心の命令に従順に屈服しなければ、私たちの個体は善化されない。

これはとても重要な指摘だと思います。

原理講論をそのまま読めば、堕落性を脱ぐための蕩減条件を立てるには、天使長の立場にいる人(カイン)がアダムの立場にいる人(アベル)に従順屈服して、彼の主管を受ける立場に立たねばなりません。
しかし、本当の蕩減条件はそのような人と人との関係から始まるのではなく、一人の人の個体の中から始まる。

「個体が善化される」
とは、まさに心と体との関係で蕩減条件が立って堕落性が脱がれていくということでしょう。

少し極端に言えば、カインがアベルに従順屈服して堕落性が脱げるのではない。
カインならカインの内面において蕩減条件が立ち、カインという個体が善化される(堕落性が脱げる)ことによって、アベルに従順屈服できる。
順序が逆なのです。

それなら最も枢要な問題は、どのようにすれば心の前に体が屈服するかということです。

カインは苦痛を感じています。
苦痛を与えているのは、目の前のアベルです。
復活論における「悪霊の再臨復活」に即して言えば、神様がアベルに悪霊(この場合、サタンそのものか)を遣わし、アベルを通してカインに苦痛を与えているとも考えることができます。

すると、ここでカインが蕩減条件を立てるには、その苦痛を、
「当然のことのように、喜んで受け入れる」
必要があります。

これが、体が心に屈服するということです。

しかし、これは難しい。
死んでもできないと思えるほどに、難しい。

カインにとってアベルは同じ家族の一員で、いつも目の前にいる。
逃げることも追いやることもできない。

アベルは供え物を受け取ってもらって有頂天になっている。
兄に対して傲慢な振る舞いもあったかも知れない。
そんな弟を、カインはどうやって受け入れることができるのか。

聖書を見ると、神様はカインに一つのヒントを与えられます。

「なぜあなたは憤って顔を伏せるのか。正しいことをしているのなら、顔を上げなさい」

問題はアベルではない。
アベルを変えようとするな。
問題は、あなたの心の中にある。
あなた自身が「正しい心」を持っているかどうかだ。
正しい心を持てば、あなたは体を屈服させて、顔を上げて堂々と、正しい道を行くことができる。

正しい心こそ、体を屈服させることができる。
しかしカインがアベルを殺したのを見ると、結局カインは正しい心を持つことができなかったようです。

そうだとしても、我々はカインを責めることはできない。
我々は誰でもカインと同じ課題を抱えており、それを克服すべき責任を負っているのです。

「私が今受けている苦痛を当然のこととして、喜んで受け入れる」
これが容易にできないために、今でも我々は自分の堕落性がなかなか抜けなくて苦悶している。
そう思っています。

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はちみつ

カインの立場の者は、アベルに自分の意見さえも言えないのがホーム生活でした。つまり「言いなり」になる必要があります。相談しても、頭から否定されるので、話し合いにはなりませんでした。
でもそうやって、自分の感情を閉じ込めることで、堕落性が脱げると教わりました。
(「あなたはカインでしょう? 私はアベルなんだ。アベルに絶対従順しなきゃ」とよく言われました)

ブログ主さんとしては自分の素直な感情や意見は、アベルに伝えても大丈夫ということですか?
より建設的な関係を作るには、意見交換した方が良いかと思うのです。そうすれば誤解も解けるし、発展につながります。

スマホの不具合で、数回送信しました。コメントが重複してしまい、すみませんでした。

2018年06月30日 (Sat) 13:53
kitasendo
教育部長

Re: タイトルなし

私も若い頃、ホーム生活ではいろいろな体験をしましたね。ただ、頭ごなしに「絶対従順」と言われたことはあまりなかったような気がします。それが良かったのか悪かったのか、簡単には言えないかも知れませんが、苦痛の体験を持っている方には私も時々出会います。そういう人は若い頃献身生活をしてそれなりに頑張っていたのに、家庭を持ったりするようになると、教会に一定の距離を持ったりしますね。苦痛の体験が心に傷を残しているように見えます。
「カインはアベルに従順屈服して堕落性が脱げる」というのは、復帰原理の基本のように思ってきましたが、最近は原理講論に対する解釈がちょっと間違っていた、というか、浅かったのではないかと考えるようになりました。その考えはこの「感謝する生活追補『アベルを変えようとしない』」に書いた通りです。
アベルとカインは父母を中心として兄弟ですから、素直に忌憚なく話し合うのが本来だと思います。もちろん兄弟としての一定の礼儀を無視してはいけないと思いますが。
そして同時に、過去の記憶を癒していく必要もあるでしょうね。かつての青年たちは心にさまざまな傷を持っていますから。我々を苦しめているのは過去の辛い体験そのものではなく、その体験についての「記憶」だと思います。それで、その「記憶」をいかに消していくかということが重要だと考えます。神様にとっても、人間の堕落や復帰摂理の苦痛の記憶を完全に消し去ることが、復帰摂理の完了になるのではないかとも考えています。

2018年07月03日 (Tue) 23:03
はちみつ

コメントありがとうございます。

おっしゃる通り、私はもう何年も教会へ行っておりません。(教会が分裂していたことは、最近知りました)
教会という組織が怖くて、通えなくなりました。教会やアベルを憎んだりはしておりません。ただ、怖いだけなんです。
現在はどこの宗教団体にも属していないのですが、祈りは続けており聖書も読み続けています。
「○○様の御名を通して」祈っています。
しかし、やはり実体のアベルを作らないと、祈りは通じないのでしょうか?

2018年07月09日 (Mon) 07:28
kitasendo
Admin:kitasendo