感謝する生活⑤「息子の問題は、私の中に原因がある」
感謝する生活④「甘受など、できるものか」の続きです。
それでも、お母さんがこの状況で神様に祈るとすれば、どのように祈ればいいのでしょうか。
「私がこの息子を心配して受ける苦痛を感じざるを得ないような私の罪を赦してください」
というのが祈りの基本です。
普通は、息子の問題は息子の中に原因があると考えませんか。
「生まれた時から、ちゃんと育ててきたはずなのに、どうしてこんなことになってしまったの?」
というふうに思わないでしょうか。
しかしこの祈りは、そうではありません。
「息子がこのようになった原因は、私の中にあるので、その原因について私は謝罪します」
と考えるのです。
但し、どのような罪がお母さんの中にあるので息子がこうなったのかは分からない。
なぜかというと、もし息子の背後に悪霊人が来ているとしても、どんな悪霊人が来ているのかは分かりません。
さらに言えば、なぜこのような悪霊人を神様が送られたのかも分かりません。
そういうことは分からないけれども、私の中に何らかの罪があることは確からしいので、それを「赦してください」と祈るしかない。
罪の内容については探る必要がないし、探っても分からないということです。
これを
「当然のこととして、喜んで受け入れる」
というやり方だと見ることができます。
それから、もう一つの祈りも付け加えて提案します。
「私が条件を立てれば、息子は変わってくれるだろうという私の期待も消してください」
「それは難しいです」
「ただ無心に祈ればいいということですか?」
「私の期待」
は、別名、
「私の呪い」
ですね。
「私がこれくらい熱心に健気に祈っているのだから、息子よ変われ、息子よ変われ」
と念ずる。
これを「呪い」と言いませんか。
これくらいの期待を持つのは悪いことではないと思っています。
「変わってくれて当然だ」
と。
ところが、お母さんのこの期待は息子にプレッシャーを与えます。
息子はお母さんの期待を無言のうちに肌で感じるでしょう。
そして、
「お母さんは僕に変わってくれと願っているけど、僕はその期待に応えられない。お母さんにとっては悪い息子だ」
と思います。
罪は私の内にあると本当に思っているのなら、相手に変われと期待できるでしょうか。
まず自分の内の問題を解決するのが先決なのに、そのことに自分がどれほど真剣に取り組んでいるか。
そこに焦点を当てるべきです。
このようなやり方を復活論では
「甘受する」
と表現していると思います。

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