恋愛は乾電池であって、愛ではない
家庭連合が推進する祝福結婚も、結婚は結婚なので、世の一般の結婚とどう違うのか、どちらがより幸福になりうるのか、ということをちゃんと理論と実際で説明できないと、説得力がない。
幾人もの講師がその説明の任を負って行う講義を聞くと、
「祝福結婚のほうがより幸福になりうる可能性が高い」
と、異口同音に言います。
私ももちろん、そう考える一人です。
ただ、単なる祝福結婚の宣伝のように受け取られては教育効果が少ないので、工夫が必要なところです。
聞いた講義を参考に、思うところを書いてみます。
例えば、現在、日本全体の離婚率は約38%にものぼる。
それに対して、家庭連合の祝福結婚で家庭を持った夫婦の離婚率は、1%未満。
数字で見る限り、格段の違いがあります。
日刊スパなどは、祝福結婚に関心をもって、合同祝福式の取材もするし、その後、祝福を受けたばかりの新婚家庭を訪ねて取材もする。
その記事には、
「婚前恋愛・性交渉禁止の宗教」
と紹介されていますが、今どきの感覚からすれば、異次元の世界と感じられそうです。
しかし見方を変えれば、異彩を放っている、とも言えます。
さて、家庭連合で禁止されている「婚前恋愛」。
ある講師の講義の中に、こういうジャーナリストの言葉が紹介されています。
「恋愛は、乾電池のようなもの。どうせ長続きはしない。結婚とは、その電池切れの恋愛関係を繋ぎとめる社会的な制度に過ぎない」
いかにも現実を味わった、冷めた見方のようですが、前半は当たっていると思います。
確かに、恋愛は寿命の短い乾電池。
恋愛が長続きすることなど、あり得ないのです。
「恋愛」という言葉で辞典を引くと、
「人を好きになって、会いたい、いつまでもそばにいたいと思う、満たされない気持ち」(三省堂国語辞典)
などとあります。
この定義から考えても、2人が結婚すればいつまでもそばにいるようになるのですから、満たされた気持ちになり、そこで恋愛は終わることになる。
つまり、結婚とは、
「恋愛が終わり、愛が始まる出発点」
と言えます。
それで、
「恋愛は乾電池であって、愛ではない」
と言ってもいいでしょう。
結婚を想定して互いに近づく男女にとって、「恋愛」はないよりはあったほうがいいには違いない。
しかし、それよりももっと重要なものがある。
それが、
「結婚生活に対する考え方の一致」
です。
「恋愛感情よりも、考え方」
このことをしっかり理解してもらうことができれば、祝福結婚講座はある程度成功だと言えるように思います。
「感情よりも理屈のほうが、本当に重要だろうか」
という疑念も湧きます。
「恋愛感情」は2人を近づける動力のような働きをするものですが、一旦「結婚」という線を越えて(霊界まで含めれば)永遠の関係に入って行ったのちには、「愛」が永久動力にならないといけない。
それを支えるのが「考え方の一致」ではないかと思うのです。
若い未婚の段階では、「恋愛」と「愛」とを混同したり、同一視したりしがちです。
しかし、この両者は似て非なるもの。
「恋愛」は感情であり、「愛」は意志です。

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