注目と期待の力
ユダヤ人の精神医学者、ヴィクトール・フランクル。 彼は1942年から45年にかけてナチの強制収容所で捕虜生活をした体験を持つてゐます。 その体験を書いた名著『夜と霧』の中には、自殺に関する言及が多く見られます。
強制収容所では自殺をする捕虜が相次いだ。 捕虜たちが心身ともに虐待され、自由を剥奪され、威厳を踏みにじられた境遇では、自殺を選んだとしても驚くことではないでせう。 しかし、自殺を遂げて行く捕虜たちを観察しながら、フランクルはあることに気がついたのです。
自殺を思ひつめてゐる人間に、いくら、
「生き続けよう、生きてさへゐれば、いつかきつと何かを得られるし、幸福が待つてゐる」
と力説しても、自殺を思ひとどまらせることは難しい。
ところが、その反対に、
「世界はあなたに何かを期待してゐる、生きてゐれば世界に対して何か貢献することができるはずだ」
と言ふと、人は生き続けることを選ぶやうになるといふのです。
そこでフランクルは、
「世界が自分に期待してゐるものがある限り、人は人生を投げ出すことはない」
と述べてゐます。
人は誰かから何かを与へられるよりも、誰かに何かを与へるほうが、人生により大きな喜びを感じるといふことでせう。
私が何かを与へる主体であることを期待するのが世界である必要はない。 私の家族だけでもいいし、私が勤める会社でもいいのです。
「ホーソン効果」
といふ実験報告があります。 「見られてゐる」ことがもたらす効果についての説明です。
およそ80年ほど前、ニューヨーク州のホーソン工場で、ある実験が行はれました。 工場の照明を明るくすれば生産性が高まるのではないかといふ想定で実験したところ、
① 照明を明るくすると → 生産性が上がつた
② 照明を暗くすると → 生産性が上がつた
といふ予期せぬ結果が出たのです。
この結果を説明する仮説として出されたものが、「ホーソン効果」と呼ばれるものです。
「労働者たちは自らが研究対象として注目されてゐると感じただけで生産性を高めた」
これを一般化して言えば、
「人は注目されてゐるとやる気が出る」
といふことになるでしょう。 (かなり普通な結論です)
応援団の多いチームがより良い成績を残せるといふのは、よく見られる事実です。 私のブログにも、コメントが届くと、やる気が倍増します。
ところで、私たちは神様から注目されてゐるでせうか? 毎日の生活の初めから終はりまで、すべての行動、すべての考へが神様に注目されてゐると考へれば、私たちにはもつとやる気が出るでせうか?
おそらく、神様の注目は並みではないでせう。むしろ、私たちは神様の注目から逃れることができないといふのが、より正確だらうと思ひます。
神様に注目され、期待されてゐるといふ思ひ。そこから、精一杯努力して神様の期待に応へたい、喜んでもらひたい、といふのが私たちの本性に違ひない。
ろしければ1クリック!

にほんブログ村
【お勧め記事】
「感情の表現体」
「ソロモンの知恵」
「最も効果的な引き寄せの法則」
- 関連記事
-
-
人を怒鳴っても事態は改善されない 2012/10/20
-
幼児は全身が一つの感覚器 2021/02/05
-
共通点は「ゼロ」 2009/10/23
-
自分のものでない思考 2020/10/10
-
スポンサーサイト