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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

「お付き合い」から「付き合い」へ

2018/02/07
読書三昧 0
20180207 

家庭連合の月刊小冊子「真の家庭」2月号の名物コラム「愛の知恵袋」に、
「『付き合い』と『お付き合い』の違い」
について紹介されています。

この違いを指摘したのは、社会学者の加藤秀俊氏。

加藤氏によれば、私たちは人生の中で多くの人たちと知り合いになり、その知り合いと「お付き合い」をする中で、本当の深い「付き合い」のできる人を求めている。

つまり、「お付き合い」は他人と知り合いになるための手段であり、その知り合いの中から、心を許せる本当の「付き合い」のできる人を求めている、というのです。

「お付き合い」する人は結構多いかも知れない。
しかし、互いが心を開いて「付き合える」人は、どんな人でも十指に足りないような気がする。
その数少ない「付き合える」人の中でも、特に重要なのが家族、つまり夫婦であり、親子であるのは間違いありません。

ところが、家庭問題カウンセラーでもある、このコラムの筆者松本雄司氏によれば、夫婦の中でも、「付き合い」のレベルに至っていない夫婦が結構多い。

「周りからは『素敵な夫婦ね!』と言われるんですが、正直に言うと、私の心はまだ一度も満たされたことがないんです」
と告白する、銀婚式を迎えた婦人もいる。

こういう婦人がいるということは、当然、夫の側にも同様の人がいるということです。

毎日同じ屋根の下で暮らす家族であっても、本当に「付き合い」の関係になるのは、言うほど簡単なことではない。
つくづく実感するところです。
何がそんなに「付き合い」を難しくしているのでしょうか。

その分析を、同じコラムの中で、教育学博士、近藤裕氏の説として紹介しています。

近藤氏によれば、「付き合い」の関係に入っていくためには、以下のようなリスクを冒さなければならない。
それを躊躇すると、関係を深めることができないと見るのです。

① 相手が自分に寄せる期待や願望に応えてあげる必要がある
② 事故や病気の時に対処するなど、相手に対する責任が重くなる
③ 相手を理解するために、多くの精神的エネルギーを使う
④ 自分の弱さなどもさらけ出し、心を裸にして付き合う必要がある
⑤ 正直な付き合いが要求され、小細工が効かなくなる
⑥ 自分が相手に利用されたりするかもしれないという心配もある
⑦ 深く関わり合えば、ある程度、お互いの独立性が犠牲になる
⑧ 語り合い、理解し合うためには、多くの時間をかけねばならない
⑨ その絆が深いほど、相手を失た時に大きな悲しみを受ける可能性がある

これらを見ると、確かに「リスク」のようにも見えます。
しかし、少し見方を変えると、これらは「リスク」というマイナス要因ではなく、むしろ「喜び」というプラスを含むものにも思えます。

例えば、①の相手が自分に寄せてくれる期待や願望。
これは負担と言えば負担かも知れませんが、こういうものを自分に寄せてくれる、そしてそれに応えて相手を喜ばせてあげられる。
これは、親密な関係ならではの喜びではないでしょうか。

相手に対して重い責任を負う。
心を裸にして付き合う。
相手に利用してもらえる。
関係を深めるために、多くの時間を共有できる。

これらもすべて、深い喜びをもたらしてくれるもののように思えます。

そして、これらをたとえ「リスク」と呼んだとしても、考えてみると、これらはその昔、神様がこの世界を創造し、その中に我が子を生み出そうと考えられた時に、すっかり覚悟しておられた「リスク」だったのではないか。

愛する対象を創造するというのは、そういう意味では、自ら「リスク」を負う覚悟を定めるということです。
我々にとっても、結婚をする、子どもを産む、それらは初めから「リスク」を伴わずにはできない冒険です。
しかし、それ以上の喜びを生み出すことが予感できるために、敢えて火中の栗を拾おうとするのでしょう。

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