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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

見方を変えると「有り難い」こと

2018/01/31
生活日記 1
20180131 

輪ゴムマジック」の続きです。

この世の現象には「有り難いこと」も「有り難くないこと」もない。
あるのはただ、自分自身がそれを「有り難く思う」か「有り難く思わない」かだけなのではないか。

そんなふうに考えたのですが、実際には、様々な現象は一様ではない。
受け止めやすいものもあれば、確かに、受け止めにくいものもあります。
それで私は、我々が人生で遭遇する出来事を3段階に分けて考えてみることにしたのです。

① ごく普通に感謝できること
② 見方を変えると感謝できること
③ 逆立ちしても感謝できそうにないこと

先ず①。

例えば、誕生日にプレゼントをもらう。
子どもが思い通りの学校に合格する。

こういうことは、ほとんどの人にとって間違いなく嬉しい。
だから、自然に
「有り難い」
と思えます。

しかし、人生はこういうことばかりではない。
また、こういうことばかりで人生が本当に充実するのかと言うと、それもまた疑問です。

②はもう少し、高い意識が必要になります。

何気なく過ごすと、この出来事の有り難さに気がつかない。
例えば、夕餉の団欒。

朝それぞれの場所に出かけた家族が、1日の勉強や仕事を終えて、夕方に帰宅する。
家族揃ったので、みんなが食卓を囲んで夕食をとる。

1年365日、大抵はこんなふうに夕食を囲むので、それを当たり前のように思っているのですが、家族がみんな1日怪我もなく元気な姿で帰って来れるという保証は、本当はどこにもないのです。

実際、天災にでも見舞われると、それまでの平穏が決して当たり前ではなかったということに、突如気がつくでしょう。

しかし大抵の朝は、目が覚めると、ちゃんと息をしている。
酸素21%の空気が周囲に充満していて、その空気は美味しい。
90歳に近い老母は、今朝もちゃんと起きてきて、台所に立っていつものように味噌汁を作る。

かつて五十肩に苦しみ、夜も寝られない時期がありましたが、今では肩は全快、ぐるぐる回るし、腕立て伏せも毎日できる。

夕方、帰宅途中にスーパーに寄れば、コンパクトなスペースに山の幸から海の幸、乳製品から冷凍食品まで、夕食に必要なものがすべて揃っている。
食後のデザートまで買っても、1500円以内に収まる。

そういうことが、実は、年に一度誕生プレゼントをもらうよりも、余程「有り難い」ことではないか。

こういうことに気づいていくと、人生には「有り難い」ことが、俄然多くなってきます。
というより、「有り難い」ことに囲まれて生きていることが分かるのです。

さて、問題は③です。

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2018/02/02 (Fri) 18:04