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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

輪ゴムマジック

2018/01/26
生活日記 1
20180126 

前回の記事「
21日間は、結構長い」の続きです。

「不満を言わない」チャレンジを続けて3か月が過ぎる頃、2つの特筆すべき出来事が起こりました。

一つは、一時的に収入が減って、生活がかなり困窮するようになったこと。
これは数か月間続き、蓄えは底をついたが、父母と同居していたお陰で、何とか乗り越えることができたのです。

もう一つの出来事は、2人の子どもたちに起きました。

息子と娘が一つの部屋を勉強のために使っています。
教科書をはじめとした学校関係の物品、それに服や趣味のものなどで、部屋の中はいつもごった返している。
これは、ちょっと注意したくらいでは、とても片付かない。

半ば諦めていたのですが、3か月が過ぎる頃、私は何も言わないのに、子どもたちが何を思ったか、急に部屋の中を片付け始めたのです。

「お父さん、大きなごみ袋が必要だ」
と言って、不要なものを処分し、残ったものを整理し始める。

「どういう風の吹き回しだろう?」
と、キツネにつままれたようです。

「これは本当に輪ゴムマジックと関連しているのだろうか?」

それは分かりません。
しかし、この2つの出来事を通して、考えさせられました。

一つ目の出来事は、どう見ても有り難くないことです。
そしてもう一つは、有り難いこと。
どうして、こういう真反対のようなことが同時に起こるのだろう?

考えていくうちに、あることに気がつきました。

「有り難いとか、有り難くないとか、これは一体誰が決めているのか?」

自分が勝手に決めていることです。

現象自体に、良いことと悪いことの区別はない。
それが自分にとって得になるのか損になるのかと、その時の状況で自分が判断しているのです。

ということは、この世の現象には「有り難いこと」も「有り難くないこと」もない。
あるのはただ、自分自身がそれを「有り難く思う」か「有り難く思わない」かだけなのではないか。

そこで1年前の出来事を思い出したのです。

2日続けて免許のチケットを切られた出来事は、それ自体「有り難いこと」でも「有り難くないこと」でもなかった。
ただそれを「有り難くないこと」だと、私が判断しただけのことだ。

100万回「有り難う」を唱えたことに、いささかなりとも神意が関わっていたとすれば、その神意はあの時こんなふうに言っていたのかも知れない。

「お前に起こった出来事はどんなことであれ、すべて『有り難い』ことだ。お前がそれを『有り難いことだ』と思いさえすれば」

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Comments 1

There are no comments yet.

華道

“ありがとう”の効果

すごい 効果ですね!

2018/02/01 (Thu) 11:58