21日間は、結構長い
「有り難う」を100万回唱え終えた翌日と翌々日、立て続けに交通違反で免許から減点されるという稀な体験をして、
「有り難いというのは、一体何だろう?」
というわだかまりが残りました。
(「『有り難い』という言葉の力」)
それからおよそ1年後、1冊の本に出会います。
『もう、不満は言わない
ボウエン氏は米国の牧師。
信仰生活の強敵である「不平不満」を追い出す方法を模索し、簡単ながら効果の高いアイデアを得ます。
どちらかの手首に輪ゴムをはめる。
生活の中で、
「あっ、不満を言った!」
と気がついたら、その輪ゴムを反対の手首に付け替える。
一度も付け替えないまま21日間過ごすことができれば、一つの基準をクリアしたと見做す。
やることはとても単純です。
彼はそれをまず自分で試し、その後、自分の教会の信徒たちに勧め、それが次第に広がって全米に実践者が増えていった。
上の著書はその理論と実録の書です。
「不平不満」の反対は「有り難い」。
かつて10万回「有り難う」を唱えた自分なら、21日間をすぐに達成できるだろうか。
そう考えて、すぐに私も実践者になったのです。
21日間は、予想外に長い。
実践して、すぐにそのことが分かりました。
1日目に、何度も、
「言ってしまった!」
ということに気づき、その度に輪ゴムを付け替える。
2日間を何とか超えても、3日目にはまた失敗する。
ボウエン氏の本を読んでも、大抵の人は21日間を簡単に達成できない。
早い人でも4か月か5か月、長い人なら1年以上たっても達成できないことが珍しくないと言うのです。
しかし、この実践。
早く達成することだけが目的ではないのです。
「不平不満を言ったと気づいたら、輪ゴムを付け替える」
ここで、
「気づく」
ということに、第一の意義があります。
普段、我々は相当頻繁に「不平不満」を漏らしているのですが、自分でそれに「気づいていない」。
実践して初めて、
「自分が普段、どれほど頻繁に不平不満を言っているのか」
ということを思い知って、驚くのです。
「気づく」ことによって、この実践の目的は半分以上達成されたと言っても過言ではない。
あとは、いかに意識的に「不平不満」を減らしていくかです。
そして、この努力の過程において、実践者は様々なことにさらに気づいていき、自分の意識の変容、さらには周辺の変化を体験するようになるのです。
例えば、ボウエン氏自身は、かつて車を運転するとき、急いでいるときに限って、前の車がノロノロ運転をする。
道路が狭ければ追い抜くわけにもいかず、車の中で前の運転者を呪う口汚い言葉を連発することになる。
ところが、実践し始めると、もはやそういう言葉を発することはできません。
最初は無理やり口をつぐんでいるのですが、次第に考えに変化が現れる。
「前のノロノロ運転は、私がスピードを出し過ぎて警察のお世話にならないよう、事故を起こさないように守ってくれている」
と、自然に思えるようになってくるのです。
私が実践してみて分かったのは、不平不満の出る状況には一つの共通点があることです。
自分には直接の責任がないと思える状況。
例えば、政治家の不正、世の中の不合理などをテレビで見ると、無意識のうちに「不平不満」「批判」が出てくる。
「どうして日本の政治家はあんなに質が悪いんだ」
などとテレビの前で毒づきながら、自分だけは高潔だと思っている。
そういう自分に気づく。
21日間の実践を早く達成しようとすると、もう迂闊にテレビなど見ることができなくなるのです。
さて、私が当初の目標を達成するのに、3か月以上かかりました。
そして、その3か月が過ぎるころ、2つの面白い体験をしたのです。

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