棋士の「美意識」
人工知能がこのまま進化し続ければ、そう遠くない未来に「シンギュラリティ」に達して、人工知能が人類全体の知性の総和を越えて、もはや人間が追いつくことは不可能になる。
そうなれば、現在ある職業の多くは人工知能がより良くこなすようになり、人間は仕事を奪われる。
そういう議論がしきりになされますが、本当のところ、我々は人工知能に関してどのような未来を描くことができるのでしょうか。
将棋史上初の「永世七冠」となった羽生善治『人工知能の核心
将棋の世界ではいち早く人工知能の挑戦を受け、勝負においてはすでに電王戦で劣勢に立たされています。
その意味で、今後人工知能と人間とがどういう関係で関わっていけるかを先取りした分野だとも言えます。
羽生さんは将棋の指し方において、人間と人工知能の違いの一つを「美意識」という概念で説明します。
棋士は大まかに3つのプロセスで将棋を考える。
① 直観
② 読み
③ 大局観
直観は、
「今、自分はどこにいて、どの方向に進めばいいのか」
を大まかに掴む羅針盤のようなものです。
直観によって、取るべき手を絞り込んだ後に、「読み」に入る。
自分と相手の先の手を予想して、シミュレーションしていく作業です。
そして最後に大局観。
一手一手の検討からあえて離れ、序盤から終盤までの流れを総括して、先の戦略を考える。
直観と大局観の特徴は、無駄な考えを一遍に省略することです。
何万通りもある手の中から「攻める手」だけに絞るのです。
それに対して人工知能は、盤面に現れる可能性を検討して、膨大な数の手を読み、最後に評価関数で最善の一手を選んでいく。
棋士の3ステップで言えば、2番目の「読み」に圧倒的な強みを持っているのです。
棋士と人工知能とでこういう違いが出る理由の一つに、
「美意識の有無」
があるのではないかというのが、羽生さんの洞察です。
将棋で言う「美意識」とは、盤面全体を俯瞰した時に、
「美しい」
と感じる感覚です。
どういう盤面、どういう手を美しいと感じるかというと、秩序だった、基本の形に近いものです。
何となく分かりますが、こういうものは記憶もしやすい。
棋士は(おそらく右脳的に)全体を一つのかたまりとして把握するからです。
それで羽生さんは、
「棋士が次に差す手を選ぶ行為は、ほとんど『美意識』を磨く行為とイコールであると考える」
というのです。
人工知能には、この「美意識」が感じられないという。
なぜないのか。
ここでもまた羽生さんの観点はとても面白いのですが、
「人工知能には、『恐怖心』と『時間の概念』がない」
ということが、重要な鍵ではないかというのです。
人間は生き延びていくために、危険な選択や考え方を自然に思考から排除してしまう習性がある。
見慣れたもの、基本に近いものには安心を覚え、そうでないものには不安や違和感を覚える。
だから、どんなに良さそうな手に見えても、基本に近くないものに不安を感じると、その局面で打たずにおいてしまう。
それに対して人工知能は、「怖いもの知らず」。
膨大な過去のデータに基づいて、最適解を計算して、打つ。
「これがもし最善手でなければ、この先どういう不利な状況になるか」
というような恐怖心がないのです。
そして考えてみれば、恐怖心は「時間の概念」と密接に関連しています。
羽生さんから見ると、人工知能が繰り出す一つ一つの手は素晴らしくても、その時々の局面を1枚の静止画像と捉えて手を選び出しており、その後の局面の流れを検討していないように思える。
静止画像のデータを扱うのには、人工知能は長けています。
しかし動画になると、その計算量は桁違いに増えてしまう。
一瞬一瞬の計算・判断には長けていても、それを時系列的につないで、一つの流れとして把握することは難しいだろうと想像できます。
ここから羽生さんは、
「美意識とは、時間の流れの中での文脈をつかむ能力と密接にかかわっている気がする」
と言うのです。
それにしても、人工知能の「知能」とは、そもそも何か。
今のところ人間には作り得ない、神様だけが考案し創造された人間の最も人間らしい特質とは何か。
人工知能にまつわる問題は、さまざまな興味深く、核心的な問題を含んでいます。
もう少し考えてみれればと思います。

にほんブログ村
- 関連記事
-
-
トマトの心に学ぶ 2009/12/29
-
行為は自己を規定する 2021/11/24
-
1995年以降、資本主義は大きく変わった 2014/07/12
-
心臓に穴のある赤ちゃんは、いらない? 2017/08/21
-
スポンサーサイト