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指向性を高めるほど、神から離れる

kitasendo
20171205

神との繋がり方について、森田健という人が面白い話をしています。

電波はアンテナで送受信しますが、アンテナの形で電波の飛び方、受診の仕方が違ってくる。
指向性の高いアンテナ(上の八木・宇田、パラボラ)は他方向からのノイズを拾わず、特定の電波を効率よく受信できる。

反対に、指向性が低くなればなるほど、あらゆる方向からノイズを拾うことになる反面、通信相手がどこにいても受信できる。
こういう無指向性アンテナ(上のホイップ)は、その特質を生かしてモバイル用途に使えるのです。

これと同じ原理が、我々人間の感覚にも適用できます。

例えば、人間の目の視野はおよそ120度。
ところが、通常は前方のものしか認識しない。
視覚自体は指向性が低いのですが、意識が指向性を作り出しているのです。

同じように、耳は周辺ほぼ360度から来る音をキャッチしている。
ところが、パーティ会場などで人と話すときは、その目の前の人の声しか認識していない。
これも、意識が指向性を作り出していると言えます。

もっと面白いことには、目の前の人と話しているのに、ふいに後ろの人の声に注意が向くことがある。
誰かが後ろで、私の噂をしている声が聞こえてくるようなときです。
意識的には聞こえていないようでありながら、実は360度の声をづっと拾っているのです。

これはどういうことでしょうか。

感覚は基本的に無指向性であるのに、意識が指向性を高めて、特定の、自分にとって優先的に必要と思われる情報だけをピンポイントに受信しようとしている。
逆に言えば、我々の周囲にある無限ともいえる情報のほとんどすべてをふるいにかけ、捨てているのです。

これは我々が現実世界で合理的に生きていくのに必要な生理システムではあるでしょう。

しかし、神様はどこにおられるのでしょうか。
神様が無形であられ、我々の内にも外にも無所不在であられるとすれば、その方の発信アンテナは究極的な無指向性アンテナです。

その方からの情報を受信するのに、我々が意識を集中し、指向性を高めれば高めるほど、受診できる情報は少なくなります。

意識を高め、目標を定めて、
「私はこのようになりたい」
と念ずれば念ずるほど、それに必要な情報には敏感になるでしょうが、それ以外の情報はすべてふるいにかけて捨てている。
ほとんどの情報は「ノイズ」のように思われるのです。

自分に有用と思える情報が多く集まるように思えても、その実、もっと必要な情報を「ノイズ」として捨てているかも知れない。

神様は無限なのに、私はその方を見るのに望遠鏡で覗いている。
神様のほんの一部しか見えないのです。

それなら、どうすればいいのか。

森田氏は、
「(自分なりの)意思を捨てよ」
と言います。

「私にはこれが必要だ」
「私はこれを達成したい」

そういう意思を手放せという。

いつ、どこから、私に必要な情報が来るか、私には分からない。
だから、私から何かを強く意識するのではなく、ある意味では「受け身」に徹する。
全くの無指向性アンテナになるのです。

これは、ひと頃一世を風靡した「引き寄せの法則」とは真逆のスタンスです。

「自分の人生を自分で開かずに、どうする?」
とも言われそうです。

しかし、高指向性の意識が捨てている「ノイズ」の中に、どんな貴重なものがあるかもしれない。
それが気になるのです。

森田氏は、
「指向性を高めれば高めるほど、神から離れる」
と言うのです。

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2017年12月06日 (Wed) 10:30
ぱる

No title

人間の側からの応答を強調し過ぎると、神の恵みが見えなくなってしまうと感じます。人間の責任分担5%が果されないと神の御旨が成就しない以上、応答を強調せざるを得ないわけですが、おっしゃる通りで、もしかすると、私たちに都合の悪いことの中にも、神の恵みは豊かに存在し得るということなのではないでしょうか。

2018年01月04日 (Thu) 06:34
kitasendo
Admin:kitasendo