絶妙の地球
平和大使協議会が発行する月刊の冊子「平和大使」に、小惑星探査ミッション「はやぶさ」の共同研究者、廣井孝弘氏が興味深い記事を寄稿しておられます。
我々が住む地球がいかに絶妙な位置に浮かんでいるか。
我々人類がいかに絶妙な時期に登場したか。
その絶妙さの中に、緻密な計算をされた創造主の存在を感じることができるというのが、記事前半の趣旨です。
廣井氏の専門は、南極で多く発見される隕石が太陽系のどのあたりから来たものかを研究すること。
ところで、その隕石には面白いことがある。
南極で隕石を探すと、その多くが山脈のふもとに集積されていることが分かった。
南極大陸は有史以来の長い期間にわたって隕石を冷凍保存してくれただけでなく、採取しやすいように山のふもとに集めておいてくれた。
さも、
「ここにある隕石をたくさん採取して、我々の由来を究明してください」
とでも言っているように感じられるというのです。
次には、地球の大気は極めて透明度が高い。
金星のように大気が濁っていれば、宇宙に浮かぶ遠くの星を観測することはできない。
さらには、地球は天の川銀河の腕の間の空いた空間に存在する。
しかも、太陽系の軌道面は銀河の星の軌道面とは垂直になっているため、年間を通して、地球から見ると夜空に銀河の星が見えない季節もあり、反対に銀河系の中心部が見える季節もある。
このように、銀河系も宇宙のかなたも両方調べることのできる理想的な位置と回転方向と大気を持っているのが、太陽と地球なのです。
宇宙は回っている。
太陽系や地球が過去から未来永劫に同じ位置、同じ状態にとどまっているわけではない。
このような絶妙なタイミングで人類がこの地球に誕生したというのは、それを全く偶然とかたずけていいものであろうか。
もしかすると、我々人間は宇宙の究極的観測者となるべく、創造主によって周到に準備されたのではないか、と廣井氏は思索するのです。
原理講論にも、似たような記述があります。
もしも、被造世界に人間が存在しないならば、その被造世界は、まるで見物者のいない博物館のようなものとなってしまう。
人間が存在することによって初めて、動植物や水陸万象や宇宙を形成しているすべての星座などの正体が区別でき、それらが人間を中心として、合目的的な関係をもつことができるのである。
(「創造原理」第2節)
この見物者はただ単に観察し、分析するだけではない。
それ以上に、鑑賞し、愛し、喜ぶ。
それが人間に願われている最も本質的な役割だとも、原理講論は指摘しています。

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