1万回の「有り難う」
3ヵ月ほど前から、一つのワークを続けています。
「有り難い」
と思えることを、毎日最低10個づつ書いていく。
3ヵ月ほどが過ぎて、その数は1200を超えました。
「有り難い」と思えることの中には、例えば、
「岩手の義母から美味しいリンゴが届いた」
などという、確かに有り難いものもある一方、
「おばあちゃんが耳の薬を飲まないで、耳に入れようとしていた、驚いてしまう」
などという、あまり有り難くなさそうなものもある。
1日10個書き出すというのは、なかなか大変なことです。
ふつうに「有り難い」と思えることだけ探そうとすると、難しい。
そこで、今日あった出来事を思い出すままに書く。
そして、1つ書く毎に、書いた後で、
「有り難う」
と言うのです。
このように言えば、たとえ「有り難くなさそうなこと」でも、書いたことすべてが「有り難い」ことになる。
ペテンのような話ですが、それも案外悪くないという気がします。
「有り難い」とか「有り難くない」とかは、私が勝手に考えることです。
一体何を基準に、私はこの2つを選り分けているのだろうか。
改めて考えると、その基準は主観的で、かなり曖昧なもののようにも思えます。
今この瞬間には
「有り難くない」
と思えることも、もう少し長い目で見ると、
「有り難い」
と感謝できることだったと判明するかも知れない。
そしてまた、その逆もあり得ます。
潜在的には、すべてのことが「有り難い」ことになり得る。
そういうわけで、このワークには、あらゆる出来事を書けるというわけです。
10年余り前、私は「有り難う」を100万回唱えるという試みを通して、劇的な体験をしたことがあります。
その伝で考えると、今回ももう少し続けて、1万個くらいになれば、何か面白いことが起こるかもしれない。
そんなことを考えながら、ほとんど日記代わりにこのワークを続けています。

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