良心、この得体の知れないもの
古今東西を問わず、いくら悪い人間であっても、正しいことのために生きようとするその良心の力だけは、はっきりとその内部で作用している。
このような力は、自分でも知らない間に強力な作用をなすものであるから、悪を行うときには、直ちに良心の呵責を受けるようになる。
(「原理講論」創造原理)
良心の働きというものは誰も否定でいないのですが、その得体は知れない。
良心の声はどこから響いてくるのだろうと、考えることがあります。
上記に引用した一節に、
「自分でも知らない間に」
とあります。
これは、頭で考えていないということです。
良いか悪いか、損か得か、そのように理性的、打算的に考えて働く作用ではない。
良心の声は、どこからともなくやって来るのです。
どこから来るのでしょうか。
「その内部で」
とありますが、人間の内部と考えても、その書き方は曖昧です。
良心の世界には教育は必要ありません。
本然の道を行く限り、自分の行くべき一生の道をはっきり知っており、間違いなく神の懐に帰れるように、教え導いてくれるのです。
(「天聖経」)
教育が必要ないというのは、生得的だということです。
良心の作用は、教育や体験によって獲得していくものではなく、生まれながらに、ある意味、完璧な内容を備えている。
これは、教育や体験を通して新しい知識を得たり、判断力を高めたりする脳(特に大脳)の仕組みとは相容れないものです。
生得的だと言っても、本能(小脳や脳幹に近い)ではない。
文先生のみ言葉を読めば、良心は人生の行くべき方向を明確に知っており、非常に高度な人格的風格を持ったものだと思えます。
このように考えてくると、脳の中に良心の住処はない。
脳は物凄い装置です。
脳細胞は1秒に1個ずつくらいのペースで減り続けるというのですが、脳力は必ずしも脳細胞の数によらない。
脳の働きの真骨頂は、それまでに体験した記憶の数々をどのように関連付けるかというところにあるらしい。
だから、年を取って経験が増えれば増えるほど、脳力が高まる可能性があるのです。
ある脳科学者によれば、脳力は30歳を超えてから飛躍的に伸びるとも言います。
しかし、脳が莫大な量の情報を扱い、それらを神業的に結びつける能力を有しているとしても、所詮、過去の情報のみに基づいて機能するもののように思います。
それに対して良心の機能は、過去の情報に依存しない。
過去の体験なぞなくても、生きるべき道を知っているのです。
脳の中に良心があるのではなく、むしろ良心の中に脳がある。
そう考えたほうが、より実感に近いような気がします。

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